1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 芸能
  4. 芸能総合

<純烈物語>純烈にとって特別な場所が消えていくと、そこには巡り合わせがあることに気づく<第119回>

日刊SPA! / 2021年10月23日 8時51分

写真

―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―

◆<第119回>普通にあることが実は恵まれているという現実。それを糧に純烈は何があっても前進を続ける

 新型コロナウイルスの影響により、世の中のさまざまなものが変わってしまい、それまでの方法論が通用しなくなった。あらゆるエンターテインメントにおいて、昭和の時代から受け継がれてきた形態に“巡業”がある。

 芸能も大相撲もプロ野球も、日本全国津々浦々までいって地元の人々にライブで見てもらうことにより大衆文化として根づいた。中でもプロレスは年間十数本のシリーズを組んで1ヵ月前後地方を回り、最終戦で首都圏のビッグマッチを開催し終えるというフォーマットを確立。

 主要都市だけでなく小さな町と村まで力道山やジャイアント馬場、アントニオ猪木といったスタープレイヤーがやってくる。東京や大阪では見慣れた技であっても、そこに住む人たちにとっては年に一度の祭りごとだ。

 だから空手チョップや十六文キック、卍固めという代名詞的な技が繰り出されるのを心待ちとしている。大都市と地方とでは、プロレスの役割が少しばかり違う。

 それまで歩けなかったお年寄りが、場外乱闘でいかつい外国人プロレスラーが客席になだれ込んでくるや恐怖のあまり我を忘れて逃げ出し「婆ちゃんが立った!」と家族が驚いた――そんなおとぎ話を聞いたのも、一度や二度ではない(じっさいにそうしたシーンを目撃したこともある)。純烈が地方のスーパー銭湯を訪れた時にも、同じような元気と力を与えていたのだろう。

 1993年、東京を拠点としない日本初の地方発信団体として岩手県盛岡市で旗揚げされた「みちのくプロレス」は、東北六県を巡業。画期的だったのは、客席にイスを並べずブルーシートを敷いて地べた座りにしたことだった。

 その様子は、素朴な東北の風景と絶妙なまでにマッチしていた。週末になると東京の熱心なファンが新幹線や車で観戦にやってくる。そこにはプロレスを見るだけでなく、旅の楽しみというオプションがあった。

 地元のおいしいものを食べたり、温浴施設や観光名所に立ち寄ったり。試合会場で知り合った友人と会えるのも喜びとなった。それらのすべてが遠征の醍醐味だったのだが、時代の流れとともに巡業形態がなくなり、今ではそうした楽しみ方も難しくなった。

◆純烈大江戸温泉ライブに重なったみちのくプロレス

 2019年5月、当連載がスタートする1ヵ月ほど前に初めて東京お台場 大江戸温泉物語を訪れた時に浮かんだのは、あの頃のみちのくプロレスの情景だった。エンターテインメントと非日常的なる一日の両方が、パッケージ化されている。

 もちろん、本当の旅のように移動するのではなく一つの施設で過ごすのだが、そこには同じようにお風呂があり、食べ物があり、何よりも地べた座りの中村座がある。

◆「地べた座り」の魅力

「私は大阪から来ているので、大江戸温泉まで純烈を見に来ること自体が旅なんです。本来なら、移動しなければお風呂に入ったりおいしいものを食べたりできないのが、ここならそのすべてを一ヵ所で味わえる。休みたくなったらゴロンと横になれるし。

 その上で、畳に座りながら純烈を見るという健康センターならではの目線は、コンサートホールとは趣きが違うものでそれがよかったんですね。コロナになる前まではラウンドもあって、通常のコンサートはステージから降りてくるという感じだったのが、健康センターだとその“段差”もないのが魅力でした」

 四十代の純子さんが、地べた座りの魅力をそう語っていた。プロレスも純烈のライブも、指定席だったらみんながほぼほぼ同じ姿勢でいる。

 でも、みちのくの会場が体育座りや胡坐、人魚座り(横座り)とバラバラな光景だったのと同様、中村座も思い思いの体勢でリラックスできる。考えてみれば、ライブ後の撮影会におけるポーズや撮り方も千差万別。コロナの影響で他のスーパー銭湯や健康ランドにおけるコンサートがやれない純烈にとって、大江戸温泉物語はそのスタイルを継続できる貴重な場だった。

 大江戸温泉物語最後の味として、お刺身天ぷら御膳をチョイスした酒井一圭はこの日、すでに一度風呂に入っていた。だが、このあと“入り納め”としてもう一度湯船に浸かってピリオドを打つのだという。

◆「最後だからといって、あまりエモくなりすぎたくない」

「最後だからといって、あまりエモくなりすぎたくないなというのがあったんです。大江戸温泉グループから離れる従業員の皆さんとも他の関連施設に配属される皆さんとも、まだまだつながっていたいという感覚がすごくあるので、離れ離れになることを認めていないという。

 でも、DVD(の収録)とか純烈ジャーの特典用撮影とかが重なった今日だから、事故もなく一通りお客さんに喜んでいただいて締めくくれたということで、今はホッとしています。脱量感、倦怠感があることで、すごく力入れて今日はやっていたんだなという実感があるね」

 撮影会を終えてステージを降りたところにスタッフが構えており、希望者はカメラに向かって大江戸温泉物語における思い出や感謝の言葉を述べるスペースが設けられていた。この取材で聞かせていただいた声だけでなく、もっともっと多くのファンによる思いが近いうちに伝えられる。

 そうした記憶を記録として残す作業も含めすべてのやるべきことを無事終えるのが、酒井個人の気持ちより優先されるリーダーの使命だった。そこは、自身の感慨より先に安堵感を口にした大江戸温泉物語スタッフ・平澤誠さんと同じだ。

◆純烈にとって特別な場所が消えていくと感じること

 1月に閉館した相模健康センター、そして大江戸温泉物語と純烈にとって特別な場所が消えていく。そこに酒井は、理屈で表せない巡り合わせを感じるのだという。

「特別なものから去っていくと感じるところがあるんですよね。今日(9月2日)が純烈のラストライブで5日には閉館し、10日には純烈ジャーが始まる。『ラブユー東京』の中川博之先生もそうでしたけど、純烈に力をくれた人がいなくなってしまう。でも、そこでいただいたエネルギーや思いを次につなぐことで、純烈は変化するんですよ。そういうもののタイミングがきてしまった。

 純烈ジャーをやるタイミングで卒業的なことがあるのではないか、それはなんなのだろうと思っていたところに、閉館の知らせがあって、ここかぁ……と。でも、事情を聞いたら仕方がなかった。何があろうともそれを糧に前に進むという決意で始めた純烈だから、そこはありがとう、お疲れ様としか言いようがないし、忘れられるものではない思い出をここでたくさん作れたことが人生の財産」

 大切な何かを失うたびに、人間は普通にあることが実は恵まれていたという現実を噛み締める。ライブのMCで好きな大江戸温泉グルメにあげていたダブルカツ丼をやはり最後も選んだ後上翔太は(昼の部のあともダブルカツカレー。どんだけ!)、そんな関係性をポジティブな言葉で表した。

◆「コロナによって閑散となり敗れ去るという形ではなかった」

「純烈にとって、コロナ以後の大事な活動はここだったし、温浴施設ライブも大江戸温泉のみということで、存在感が大きかったですよね。だけど今日のライブを見ての通り、コロナによって閑散となり敗れ去るという形ではなかったわけじゃないですか。それって、すごくポジティブなことだと思うんですよ。あと数日で閉館というのとは関係なく、これほど多くの皆さんに愛されているのは確かだし。

 純烈にとってのホームグラウンドがなくなる形ですけど、それも活動を続けていけば新たなホームグラウンドと出逢えるかもしれない。それが大江戸さんのコンセプトのもとで逢えるのが第1希望。ニュー東京お台場 大江戸温泉物語という名前はともかく、そう言える場所で再会しましょう」

 大江戸温泉物語スタッフとの挨拶も済ませ、最後の舌鼓を打ったメンバー、スタッフがいっこうにやむ気配を見せぬ雨の中を一人、また一人とあとに。ごった返した控室が数名のスタッフと酒井だけになった頃には20時を過ぎ、先ほどまで賑わっていた施設内も数えるほどの利用客となり、静まり返っている。

◆“10万円飲み食い”は「計算づく」と言い張る酒井

 第1回ライブにおける“10万円飲み食いエピソード”について、平澤さんが笑いながら「逆にすごいと思いました」と言っていたことを伝えるや、酒井は本領発揮。その時点で、計算の上やったことだと主張し始めた。

「普通の演歌歌手じゃないぞ、何なんだこいつら!? と思わせないとダメじゃない。自分の性格だったら、本当なら鰻重は頼むな! なのよ。でもそこは、高いのを食わせてもらった代わりにガンガン返すから任せておけと。あいつらと絡んだらプラスになると思われないと、わらしべ長者で来ているから。あいつ粗悪品と交換しやがったなとか、酒井ズルしたなということだと評判が回って信用失って、使ってもらえない。

 そこは俺のスーパー極意だから。お金という部分が欲しいヤツはお金だし、何か充実感とか楽しさとか衝撃とか冒険とかいろんなことをとり揃えた上で、相手はこれが欲しいんだろうなということで大喜びしてもらうのが純烈として、自分の生き方として大事なことなんで」

 あとづけではという、うがった見方を否定し絶対的な勝算を高らかにぶち上げる酒井一圭の得意ムーブによって、純烈の東京お台場 大江戸温泉物語ストーリーは締めくくられた。それは、いつの日かNEXTが訪れるという余韻になり、激しく降りしきる雨に流されることなく包むように立ち込めたのだった。

(この項終わり)

撮影/渡辺秀之

※次回にて本連載「白と黒とハッピー~純烈物語」は最終回を迎えます。2年3ヵ月間、純烈というグループを追い続けてきての思いを、最後に綴らせていただく予定です。よろしくお願いします。(鈴木健.txt)

【鈴木健.txt】
(すずきけん)――’66年、東京都葛飾区亀有出身。’88年9月~’09年9月までアルバイト時代から数え21年間、ベースボール・マガジン社に在籍し『週刊プロレス』編集次長及び同誌携帯サイト『週刊プロレスmobile』編集長を務める。退社後はフリー編集ライターとしてプロレスに限らず音楽、演劇、映画などで執筆。50団体以上のプロレス中継の実況・解説をする。酒井一圭とはマッスルのテレビ中継解説を務めたことから知り合い、マッスル休止後も出演舞台のレビューを執筆。今回のマッスル再開時にもコラムを寄稿している。Twitter@yaroutxt、facebook「Kensuzukitxt」 blog「KEN筆.txt」。著書『白と黒とハッピー~純烈物語』『純烈物語 20-21』が発売

―[ノンフィクション連載「白と黒とハッピー ~純烈物語」]―

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング