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純烈、デビュー15年で初の武道館へ。「俺は3年前に勝手に決めてた」酒井一圭が語る想い

日刊SPA! / 2024年11月23日 8時51分

 自分の中に「この人と結婚するんやろな」のような確信めいた予感が生じたら、まず動く。そして、背中をメンバーやスタッフに見せ「やれんのか!?」と問いかける。純烈は、そうやって夢を形にしてきた。

◆下の世代に経験を積ませたい

 そのつどプロジェクトはどんどん膨らんできて、2021年秋までの本稿連載時にはいなかったスタッフも入ってきた。今回の日本武道館公演は、長く苦楽をともにしてきた山本がエグゼクティブのポジションで、マネジャーになって2年半の江畑貴弘が中心となり動いている。

「俺自身はやる確信があるけど、そこで会社が何も言ってこなかったらやらないでもいいわけよ。ただ、スタッフも若返ったなかで経験を積んでもらいたい思いもあって。メンバーや山本さんは紅白歌合戦のような成功体験をしているけど、下の世代にも必要だと。そのパーツが揃ってきたし、自分が動き出すことで周りも共通意識を持って現実になっていくのが純烈という世界だから」

◆6年前、ファンの色紙に書いた言葉

 結成15年目に、武道館に到達――こう書くと聞こえはいいが、純烈はそれをゴールにやってきたわけではなかった。「俺たちのようなグループが紅白に出られたらおもろいよねという、ふわふわした話でしかなくて、アーティストとしてあの大きな会場に立ちたいみたいな欲求はまったくなかった」と酒井は言う。

 ただ、本人も気づかぬところで、潜在的にその三文字は息づいていたのだろう。先日、2018年の紅白初出場が決まった直後に渡したサイン色紙を持ってきたファンと再会。そこには、ハッキリと「次は日本武道館」と自分の筆跡で記されてあった。

◆「武道館よりも後楽園ホールのほうがキツかったし面白かった」

 プロレスラーだったころ、酒井は日本武道館を経験している(DDT2012年8月12日)。ただ、その時も特別な感慨はなかった。

「なぜかというと、武道館よりも後楽園ホールでやった時のほうがキツかったし面白かったし、ヘビーだったから。主催者でなければ、俺なんてレスラーもどきのようなものだもん、特別にいい景色が見られたとかではなかった。今の時点では、純烈として眺める武道館の景色がどんなものかも想像つかないし、紅白と同じくもう一回ここでやりたいと思うかどうかは、終わってみなければ……だよね。

 でも、メンバーや会社は違うと思うよ。みんな、いつもより髪の毛跳ねるだろうし、事務所もメイクさんを入れましょうって言うと思う。3人の中では後上(翔太)が一番盛り上がっているんじゃないかな。あいつ、大学(東京理科大)の入学式が武道館だったから。岩永は見にいったこともないらしくて、武道館初体験が出演という」

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