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佐藤弘道語った 絶望の緊急入院から奇跡の回復を遂げた理由 妻、家族、そして千羽鶴…現状も明かす

スポニチアネックス / 2024年8月31日 6時3分

「奇跡的に歩くことができた」と語る佐藤弘道

 【インタビュー】脊髄梗塞のため2カ月の入院・加療を経て今月20日に「奇跡的に歩くことができるようになりました」と退院を報告した、「ひろみちお兄さん」ことタレントの佐藤弘道(56)。スポニチ本紙のインタビューに応じ、原因不明で有効な治療法が確立していない珍しい病気に突然襲われ、入院先で「死にたい」とまで落ち込んだ日々を明かした。出口の見えないリハビリで支えになったこと、現在の病状、そして今後の夢を静かに、そして力強く語った。(鈴木 美香)

 佐藤はつえも持たず、自力で歩いてインタビューを行う部屋に入ってきた。

 「リハビリ専門病院からは12月までの入院期間を提示されましたが、僕は“一日も早く歩いて退院したい”と伝えました。そして2カ月で奇跡的に歩くことができるようになり、退院できました」

 ゆっくりだが、しっかりとした足取りに見える。それでも、まだリハビリは途中だという。「両足にまひとしびれがあり、腰周りに感覚がありません。平衡感覚も失われている状態なんです」

 患っているのは、発症頻度が脳梗塞の1~2%ほどの珍しい疾患「脊髄梗塞」。脊髄の血管が詰まり、神経が機能せず、まひなどの症状が出て歩行困難になるケースもある原因不明の病気だ。

 病魔が襲ったのは6月2日。鳥取へ出張に向かう機内で、背中から腰にかけて激しい痛みに苦しみ、到着後に診察を受けた病院でそのまま緊急入院した。当初は「下半身の感覚がなくなっていて歩けませんでした。尿意も便意も感じず、尿管を付け、おむつも外せなかった」という。

 インタビューで向き合うと、ひろみちお兄さんらしい明るい笑顔が戻っているが、入院当初は現状を受け入れられなかった。

 「検索すると有効な治療法もなく、治るかどうかも分からない。歩けずにおむつが外せない生活が続くのかと悩んで死にたいとも思った」

 食事を取る気力もなく、ふさぎ込んでいると、妻と2人の息子が笑顔で寄り添い続けた。サプライズで突然見舞いに来て笑わせようとしたり、「退院したら食べたいものは?」など明るい話題が家族LINEで送られてきた。全国からの応援メッセージも続々と届いた。「家族の存在もありがたいと思いましたし、応援メッセージに同じ病気をした方やその家族の方の経験もあったり、仕事で関わった子供たちから千羽鶴も頂いて、勇気づけられました。一歩でもいいから歩きたいと思いました」

 かつてテレビで見た西城秀樹さん(2018年死去、享年63)が2度の脳梗塞を乗り越えてステージに上がった姿も思い出した。「僕も頑張ればまたステージに立てるかな」

 リハビリ専門病院で付いたあだ名は「追い込みの佐藤」。病院側が用意した時間以外に自ら病院内を歩き回ったり、下半身の感覚を取り戻すためのトレーニングに励み、自身を追い込んだ。そして病院の提示よりも3分の1の期間で退院を迎え、関係者を驚かせた。

 それでも病気との闘いは続く。入院中に尿意は戻り、おむつは外せたが、便意はまだ完全には戻っていない。両足に残るまひの克服、腰周りの神経や平衡感覚も取り戻すため、週2、3回、投薬とリハビリに通う。

 「時間はかかると思いますが、回復を目指します。脊髄梗塞は保険は下りないし、難病にも指定されていない。この病気のことを知ってもらう啓蒙(けいもう)活動をしたい。闘病する人の希望となるようなこともしていきたいと思っています」

 さまざまな人の励ましへの感謝を胸に、新たな一歩を踏み出していく。

 ◇佐藤 弘道(さとう・ひろみち)1968年(昭43)7月14日生まれ、東京都出身の56歳。日体大卒。1993年から12年間、NHK・Eテレ「おかあさんといっしょ」の第10代体操のお兄さんを務め人気に。07年にベストファーザー賞受賞。15年、弘前大学大学院医学研究科博士課程を修了し医学博士を取得。親子体操教室や指導者研修会、講演会など幅広く活動。血液型A。

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