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中村俊輔氏 セルティックでの成功導いた“流儀” セリエAからスコットランドへ移籍の経緯振り返る

スポニチアネックス / 2024年9月25日 5時2分

2006年、欧州CLのマンチェスターU戦で、壁を越えるFKを放つ中村俊輔(右端)(撮影SNSGroup)

 【月刊中村俊輔 9月号】22年シーズン限りで現役を引退し、現在は横浜FCのコーチを務める元日本代表MFの中村俊輔氏(46)がサッカーの魅力を語り尽くす「月刊中村俊輔」。9月号のテーマは前回に続き海外移籍。今回は05年7月に当時世界最強リーグだったセリエAのレジーナ(現4部)から、一時代を築いたスコットランド1部セルティックに移籍した経緯などを振り返った。(取材・構成 垣内 一之)

 「ずっとセリエAで残留争いをするチームだったから、戦い方がどうしても守備的になる。得るものはたくさんあったけど、3年もやったら環境を変えて、今度はボールを持てるチームとか、攻撃的なチームとか、そういう面も含めて移籍を考えていた」

 02年7月に横浜からレジーナに移籍して3年。チームを3年連続セリエA残留に導き、移籍を視野に入れていたタイミング。その中で舞い込んだのが、セルティックからのオファーだった。

 「レジーナが移籍金を結構、高めに設定していたから、お金があるロシアとかウクライナのクラブはあったけど、スペインとかイタリアは金額に到達しないとか、なかなか出るのも大変だった」

 そんな中で転機になったのが、日本代表で出場した各大陸の優勝国などが集って4年に1度開催されていた05年のコンフェデ杯(17年で終了)。

 「(当時のセルティック監督)ストラカンはあの時、ギリシャの選手を見に来ていたらしいけど、出来が良かった自分を気に入ってくれた」

 1次リーグ第2戦のギリシャ戦。後に絶大な信頼関係を築くことになる名将の目に偶然にも留まった。

 「リーグ戦で上位を争うチームで、攻撃的なことをやれるかなと。あとはチャンピオンズリーグにも出られる。一番は環境を変えたかった」と、かくして決断した自身2度目の移籍。合流前にチームが欧州CL予備予選で敗れ、欠場したマザーウェルとの開幕戦に4―4で引き分ける幕開けとなったが、そこは抜群の適応力で徐々にフィットしていった。

 「合宿で1カ月過ごして、最初の2、3試合でこんな感じかってだいたい分かる。練習メニューはこんな感じで、自主練できなそうだなとか。それを加味して、自分のルーティンにどう組み込んでいくか。海外は自主トレの文化がそもそもない。ケガのリスクしかないから。だから居残りはキックだけで、他は練習中に一つ一つのプレーを集中して確認していた。筋トレも試合後にスタジアムでやっていた」

 その土地、土地の文化を尊重することも大切にしたという。

 「その国の文化とか、価値観とかは大事。それを察知して、自分の接し方も変える。例えばイタリアとかスペインはラテン系で表現が凄く明るい。それに比べスコットランドは紳士で落ち着いている。礼儀正しさとかは、日本人に近かったからやりやすかった」。

 欧州CLのマンチェスターU戦で決めた伝説のFKなど、その後の大活躍は周知の通り。伝説となったセルティックでの活躍は今も決して色あせることはない。現在所属する日本人選手たちにも、俊輔氏が大きな道しるべとなっていることは間違いないだろう。

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