関本賢太郎氏 思い出の鳴尾浜「本当にしんどかった…でも鳴尾浜があったからこそ、プロとして活躍できた」
スポニチアネックス / 2024年9月25日 16時26分
1994年10月に完成し「平成の虎の穴」として多くの猛虎戦士を育てる礎となった兵庫県西宮市にある鳴尾浜の阪神2軍施設は今季をもって終わりを迎え、2025年3月には同県尼崎市に完成する新施設に移転する。現役時代に鳴尾浜を知る阪神OBで本紙評論家の関本賢太郎氏(46)が思い出を語った。
鳴尾浜時代は本当にしんどかった。あの時間にだけは絶対に戻りたくない。でも、鳴尾浜があったからこそ、プロ野球選手として活躍することもできた。自分の原点の場所だ。
1996年のドラフト2位で指名され、97年から鳴尾浜で過ごした。1軍初出場が00年の10月(3日、横浜戦)だから、入団から4年間はずっと鳴尾浜が練習の場でもあり、生活の場だった。夜になると室内練習場の照明がつく。誰かが練習している。尻をたたかれるように自分もバットを持って室内に向かった。
プロ野球選手の平均寿命は7年。7年で1軍に通用する選手にならなければ終わりだと思っていた。本塁打を期待される打者として入団したが、自分を上回る長打力の持ち主は他にもいた。あるコーチからは「なんでおまえみたいな選手が入ってきたんや。スカウトの死活問題やで」と酷評された。悔しいからこそ練習した。体も鍛えた。鳴尾浜の夏は暑い。ユニホームの黒い背番号のところが熱を持って、背中に当時の背番号64が焼き付くほどだった。
鳴尾浜は観察する場所、勉強する場所でもあった。昇格、抹消を繰り返す選手を見て「なんで定着できないのか」「何が求められるのか」を考え、1軍で空きそうなポジションはどこかを探した。ウエスタン・リーグで対戦した広島やオリックスの投手が1軍で実績を挙げるようになると、それを物差しにして自分の打撃を工夫した。たどりついたのはバットを短く持って、ミートに徹する打撃。鳴尾浜で見つけたプロとして生き残る道だった。
これからも尼崎で若い選手が汗を流すはず。下積み時代には目配り、気配りが大事だと自分では思っていた。靴が散らかっていたら直す、ボールやバットが汚れていたら磨く。そういう習慣から対戦投手の傾向、相手の守備位置が見えてくる。無関心、無神経の選手は絶対に大成しない。若いときほど観察と気づきが大切なのだ。(本紙評論家)
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