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ソフトバンク・前田純「自分が主役だと思って」22年育成ドラフト10位から「不撓不屈」プロ初登板勝利

スポニチアネックス / 2024年9月30日 6時3分

<日・ソ>力投する前田純(撮影・高橋 茂夫)

 ◇パ・リーグ ソフトバンク6―2日本ハム(2024年9月29日 エスコンF)

 日本一に向けて新たな戦力が現れた――。ソフトバンクの2年目左腕・前田純投手(24)が29日、日本ハムを6回3安打無失点に抑え、プロ初登板初勝利。同カードの連敗も7で止めた。クライマックスシリーズ(CS)で対戦する可能性のあるライバルを封じる強烈アピール。中部商時代はベンチ入りさえかなわず、日本文理大を経て2022年育成ドラフト10位で入団。勝利投手では歴代で最も下位の指名順位となった。

 最高のデビューだった。ヒーローインタビューに立った前田純は「これだけ観客がいる中で初めて投げたんですけど。“気持ちいいな”と思いながら、自分が主役だと思って投げました」と胸を張った。6回3安打無失点。テンポよく、無四球、5奪三振の完璧ともいえる内容だった。

 1年目は3、4軍の非公式戦で11勝し、育成2年目の今季は自主トレでレジェンド左腕・和田に弟子入りした。それまでは力んで上半身主導となっていたが、下半身を意識して体幹で投げる重要性を教わった。「腕が遅れてついてくるみたいな感じになった。打者に対して(球速以上に)速く見せられるようになった」。7月末には念願の支配下選手に昇格するなど2軍で10勝4敗、防御率1・95の好成績につなげた。

 直球の最速は143キロながら抜群の伸びで、チェンジアップ、カーブの緩急を使ってカード7連敗と手がつけられなかった日本ハム打線を手玉に取った。小久保監督も「十分すぎる投球だったと思います。腕の振りとチェンジアップじゃないですかね」とニッコリだ。立ち上がりも1死から松本剛に右前打を許したものの、マルティネス、レイエスに対して決め球の変化球で空を切らせる。堂々の投球でCSの戦力としても急浮上してきた。

 座右の銘は「不撓不屈(ふとうふくつ)」。中部商では3年間ベンチ入りすら果たせなかった。ただ、その言葉通りに諦めなかった。日本文理大ではソフトバンクOBでもある吉川輝昭投手コーチとの出会いが転機になる。「(1メートル89の)身長を生かした、角度をつけた投げ方を意識するようになった」。アドバイスを受け、上から叩くフォームをつくり上げた。球の力強さが増した。大学3年春に念願のベンチ入り。22年育成ドラフト10位でプロの門をくぐる。

 育成ドラフト出身選手では史上6人目の初登板初勝利。勝利投手では史上最も低い順位となった。もちろん、ここからさらなるサクセスストーリーを歩む。背番号51を背負う左腕は「ホークスのエースと呼ばれる投手になれるように頑張ります」と力強く誓った。 (木下 大一)

 ○…育成ドラフト出身投手のプロ初登板初勝利は6月9日巨人戦の佐藤(オ)に次いで6人目。育成10位の白星は、20年育成7位で入団し22年4月2日阪神戦でプロ初勝利を挙げた戸田(巨)を抜く最も低い指名順位となった。なお、ドラフトで指名され1勝以上した投手の中で最も指名順位が低いのは大木勝年(ヤ)の70年16位。早大から入団し、プロ1年目から登板し、通算成績は20試合1勝0敗、防御率4・15だった。

 ◇前田 純(まえだ・じゅん)2000年(平12)6月4日生まれ、沖縄県出身の24歳。建設会社勤務の父親の影響でシンガポールで生まれる。3歳から小学3年まで千葉県浦安市、小学4年から沖縄市で育つ。高原小で競技開始。中部商を経て日本文理大から22年育成ドラフト10位でソフトバンク入団。兄は社会人・日本通運の右腕・前田敬太。1メートル89、85キロ。左投げ左打ち。

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