長野、内海、村田…「巨人軍」に捨てられた男たち

日刊大衆 / 2019年1月22日 6時15分

※画像はイメージです

 巨人ファンならずとも衝撃的な“人事”だった。

 今季、FAで巨人へ入団した炭谷銀次朗、丸佳浩両選手の人的補償として、巨人生え抜きの内海哲也、長野久義が、それぞれ放出されることになったのだ。

「2人とも、原第二次政権から長年チームを支え続けた巨人の看板。そんな選手を手放したとあって、ファンはもちろん、巨人OBからも“どうして彼らをプロテクトしなかったのか”と、厳しい声が続出しました」(スポーツ紙記者)

 現在、FA人的補償のプロテクト枠は28人。1軍登録選手が29人であることを考えると、中心選手をすべて守るのは不可能に近い。功労者とはいえ、ピークを過ぎたベテラン選手が外されるのも仕方がないような気もするが……。

「彼らの場合は、ただの功労者ではないんですよ」 こう声を強めるのは、ある巨人関係者だ。

「内海も長野も、他球団を蹴ってまで巨人入団にこだわった、いわば“ジャイアンツ愛”の象徴。それだけにショックが大きいんです」(巨人関係者)

 ファンならば、誰もが2人の“入団時のいきさつ”を知っている。だからこそ、今回の移籍が批判を集める結果となったわけだ。

 内海は、2003年に巨人入り。しかし、敦賀気比高3年だった00年、すでに他球団からドラフト1位指名を受けている。

「プロ注目の左腕だった内海は、ドラフト前に“巨人以外入団しない”と宣言しましたが、オリックスが強行指名。入団を拒否して、東京ガスに進んでいます」(スポーツ紙デスク)

 社会人に進んだことで、内海はドラフトで希望球団に入れる“自由獲得枠”の使用が可能に。3年後、晴れて巨人入団を果たす。

 一方、巨人・長野の誕生は、内海以上に難産だった。始まりは06年のドラフト会議。日大4年だった長野は、巨人志望を明言していたものの、日本ハムに4位で指名されてしまう。

「最愛の球団から指名されず、長野は悔し涙まで見せていました。その後、日ハムのスカウトを門前払いするほど頑なな態度で、入団を拒否しています」(前同)

 そして社会人のホンダに入社し、臨んだ08年のドラフト。またしても巨人から指名はかからず、千葉ロッテが2位指名。ここでも入団を拒否し、社会人残留を選択した。

「翌09年、巨人は早くから長野の1位指名を発表。3年がかりで、やっと念願の巨人入りが実現しました。なお、ドラフト当日に原監督が長野を訪問するなど、“VIP待遇”で迎え入れられています」(同)

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