【特集】中越地震の震源地で全壊 まちで唯一のスーパー 人口減少による経営悪化 それでも"店を守りたい” 旧川口町のスーパー「安田屋」ふるさとに寄り添った20年 ≪新潟≫
TeNYテレビ新潟 / 2024年11月23日 20時2分
中越地震の震源地、旧川口町で住民を支えてきたスーパーがあります。
地震により建物が全壊。地域の人口減少による経営悪化。
そんな幾多の困難を乗り越えふるさとに寄り添ってきた20年の歩みです。
旧川口町で唯一のスーパー
市場で目利きした果物や新鮮な生鮮食品が並びます。
ここは長岡市旧川口町で唯一のスーパーマーケット「安田屋(あんたや)」。
創業66年……食材から日用品までそろう地域で愛される老舗です。
この店を切り盛りする専務の山森瑞江さん。店のムードメーカーで周りにはいつも笑顔が広がります。
〈買い物客〉
「昔から知っている地元のおじいちゃんおばあちゃんにしても若い人にしてもこうやって瑞江さんが対応してくれて親しみやすいからそれは地域のスーパーさんですよね」
〈買い物客〉
「なくてはならない存在だよね。頼りにしているし配達とかもしてもらえるし」
地域住民にとってなくてはならないこの場所を20年前、悲劇が襲いました。
安田屋は「全壊」それでも……
2004年10月23日に発生した中越地震……震源地の旧川口町は震度7を観測し道路がいたるところで寸断。余震も相次ぎ住民は不安の日々を過ごしました。
まち唯一のスーパー安田屋も全壊しました。それでも押しつぶされた建物から食べ物を取り出して被災者に配布……地震から3日後には仮店舗で営業を再開しました。
〈安田屋 山森瑞枝さん(地震当時)〉
「うちが営業して食べ物を供給していかなければ、町自体が終わってしまうという危機感があるので、店をやめようと思ったことは地震から1回もないです。はやく元の形の店を営業してお客さんに満足してもらいたいという気持ちでいっぱいです」
安田屋は1億円あまりを借金して店を再建しました。
〈安田屋 山森瑞枝さん(2009年当時)〉
「売り場広げなきゃいけないねといってシャッター1枚分のところがシャッター2枚分、3枚分になって、結局その倉庫は全部(仮店舗)。よくやったよね、今思えばね。あんなところで……」
地震のあとも地域の食と生活を支え続けて20年……昔もいまも地元に欠かせない存在です。
〈買い物客〉
「ここまで来るまでに大変だったと思います。川口の人たちのために店をなくしてはいけないという彼女の思いが強く本当に頭が下がる思いです。」
〈買い物客〉
「毎日安田屋さんに来て買い物して大助かりです。ここがないともう私らは車も乗れないし、小千谷もいけないからここが命の綱です」
苦境に立ち上がった息子
しかし……地震前約5700人いた旧川口町の人口は3700人ほどに減少……安田屋の経営は、いま苦境に立たされています。
〈安田屋 山森瑞枝さん〉
「地震が大きく人生を変えた。全部失ったところから借金という大きなもので始まり、あとはこの街が大きく変わってしまった」
そんな母をサポートしようと立ち上がったのが長男の健也さんでした。
〈瑞枝さんの長男・健也さん〉
「かなりお客さんとの距離が近いので直接ありがとうという声をいただけることが多いのでそれが一番うれしいですね」
東京の大学に進学後、都内のIT企業に就職した健也さん。ふるさとに戻り家業を継ぐ決断をしたのは母との電話でした。
〈瑞枝さんの長男・健也さん〉
「仕事に対しての愚痴とか不安を僕に話したことがあったんですよ。小さい時からずっと仕事をしていてそういうのを聞いたことがなかったのでこれは帰ろうと」
母が初めて漏らした店の先行きへの不安……迷いはありませんでした。
震災から母が守り抜いた安田屋を今度は自分が救いたい……健也さんが始めたのはSNSでの発信でした。
〈瑞枝さんの長男・健也さん〉
「従業員の方たちの年齢層が高くて、外に魅力を発信できなかったので僕が入ってからすぐにやろうと思って」
SNSでは特売情報や商品の入荷などを投稿……するとこれまで安田屋を知らなった新規の客も訪れるようになり売り上げは少しずつ回復傾向にあります。
過疎と高齢化が進む旧川口町……健也さんは買い物が難しい住民のため地域を回り商品の配達を行います。
〈利用者〉
「今はもう80歳になるんで配達してもらえるとありがたい」
〈利用者〉
「助かります。私両手両足が不自由なので自分で車を運転できなくなったので配達してもらわないと食料も困難」
〈瑞枝さんの長男・健也さん〉
「困っている方がいらっしゃるのでその方々のために絶対なくてはならない配達だと思うので」
困っている人を助けたい……復興のために奔走する母の姿をみて根付いた思いです。
震災から20年
ことし10月、旧川口町を走る黄色いトラック……。
旧川口町では、地震のあと全国から届いた支援物資への感謝の思いを形にしようと、黄色いフラッグにメッセージをつづり掲げるようになりました。
中越地震から20年となる10月23日……黄色のフラッグが街中を彩りました。
復興への感謝被災地・能登へのメッセージなど様々な思い……。
追悼式ではキャンドルに明かりが宿され優しい光が被災地を照らしました。
◆震災20年の思いをフラッグに
まち唯一のスーパー「安田屋」でも……。
〈安田屋 山森瑞枝さん〉
「書いているうちにだんだん元気が湧いてくる。『ここまで来たんだ』という20年長かったようだけど、でもあっという間だったような」
震災から20年の思いをフラッグにしたため、店に掲げることにしました。
〈安田屋 山森瑞枝さん〉
「いい!こう読んでくれるよね。いい、いい、いい!短時間にしては上出来だよね」
フラッグに綴ったのは地震からの復興……そして、お客さんへの感謝の思いです。
〈安田屋 山森瑞枝さん〉
「地震が起きたばっかりは一体どうなっちゃうんだろうとすごく不安がいっぱい。お客さんに感謝しながらの20年だった。お客さんからの言葉がなければ頑張ってやってこられなかったし、これからもお客さんに感謝しながら頑張って商いを続けていこうと思います」
〈瑞枝さんの長男・健也さん〉
「今、地震前からずっと川口の方に来ていただいて、愛され続けてきたと思うので、同じようにこれからの世代の人たちが20年先も毎日来てくれるようなお店にしたいです」
地震がなければ……そう考えることもありました。過疎化による経営悪化に悩み続けた20年でした。
でも、あのとき支えあった地域の暮らしを守るため……
まち唯一のスーパーはきょうも店を開きます。
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