「エルサレム」とはどんな場所か? 地理的、歴史的に振り返る

THE PAGE / 2018年1月13日 18時0分

写真

[写真]エルサレム旧市街の空撮写真。2008年10月15日撮影(ロイター/アフロ)

 昨年末に米国トランプ大統領が「イスラエルの首都」と認定したことで注目を集めたエルサレム。その面積は郊外を含めて652平方キロメートルと、東京23区(612平方キロメートル)とあまり変わりませんが、この街は中東一帯の火種であり続けました。エルサレムとは、どんな場所なのでしょうか。(国際政治学者・六辻彰二)

●3つの宗教の聖地である由来

 イスラエルとパレスチナの間の対立において、エルサレムは常に大きな問題であり続けました。それは、この街がユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって、それぞれの聖地であることによります。

 紀元前10世紀にこの地を治めたソロモン王は、聖書によると、 モーゼが神から授かった十戒の石版を祀(まつ)る神殿をエルサレムに建設。このソロモン神殿は紀元前6世紀、バビロニアに破壊されました。その後、ユダヤ人たちが神殿を再建し、ヘロデ王が増改築しましたが、紀元前70年 、ローマ帝国によって破壊されてしまいます。しかし、その遺構は「嘆きの壁」と呼ばれ、ユダヤ教徒にとって神聖な祈りの場になっています。

 また、この地はイエスがローマによって十字架に架けられ処刑された土地でもあります。そのため、イエスの墓である「聖墳墓教会」があるとされるエルサレムは、イエス生誕の地であるベツレヘムなどとともに、キリスト教徒にとっても宗教的に重要な街なのです。

 そして、イスラムの預言者ムハンマドは621年にエルサレムから天に昇り、神から言葉を授かったといわれます。この伝承により、エルサレムはイスラム教徒にとっても、メッカ、メディアに次ぐ聖地となり、ムハンマドが「昇天」したといわれる地点に「岩のドーム」や「アルアクサ・モスク」が建設されました。これらは嘆きの壁の上にあるイスラム教徒地区に建っています。

 これら三宗教にとって聖地であることからエルサレムは、11世紀に始まった十字軍をはじめ、近代以前から争いの舞台となってきました。

●4つの地区に分かれる旧市街

 旧市街はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、アルメニア人の4つの区画に分かれています。エルサレムは旧約聖書の時代から破壊と増設が繰り返されてきましたが、旧市街の現在の基本的な構造は、1517年から1917年までこの地を支配したオスマン帝国の時代にアルメニア人居住区が確立されたことでほぼ完成しました。

 コーカサス地方にルーツをもつアルメニア人は、その一部が紀元4世紀頃にエルサレムに移り住んだといわれます。ほとんどがキリスト教徒ですが、その多くはローマ・カトリック教会とも東方正教会とも異なるアルメニア教会の信者で、さらにユダヤ人ともパレスチナ人(アラブ人)とも言語的、文化的に異なります。

 オスマン帝国はイスラムを強制するよりむしろ宗派や民族ごとに分けて支配し、異教徒には税を課す代わりに信仰を認めていました。旧市街に残る4区画は、オスマン帝国の支配哲学を象徴するものといえます。

●第一次大戦後にユダヤ人流入増える

THE PAGE

トピックスRSS

ランキング