【深読み民俗学】「姥捨て山」伝説に隠された、予言と残酷風習とは?

tocana / 2014年2月19日 19時0分

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 姥捨て山伝説は、単なる童話ではなく、実在した話がモデルになっているといわれている。そう、戦国時代、瞬く間に信州を制圧した、武田信玄没後の武田家滅亡を暗示していたのだ――。


■人を大切にしない合理主義者「武田氏」の行く末を暗示

【姥捨て山伝説:あらすじ】

 姥捨て山伝説とは、ある国の殿様が、年老いて働けなくなった者を不要として、山に遺棄するようにというお触れを出したことから始まる。しかしある家では、山に老親を遺棄することができず、密かに家の床下にかくまうことにした。そしてしばらくの後、隣国からいくつかの難題が出され、それらの難題を老親の知恵によって見事に解き、隣国を退散。老人も知恵があり粗末にできぬことを知った殿様は、お触れを撤回し、老人を大切にするようになったという話だ。

 この物語のように、自分の考え方でお触れを出し、それを領民に実行させ、そのお触れに従わなければ罰することができたのは、日本史の中で、戦国時代しかあり得ないはずだ。なぜなら、戦国時代以外では、大名は鎌倉幕府や江戸幕府によってしっかりと管理されていたために、領民に対して勝手なお触れを出すことはできなかったからである。

 また、姥捨て山伝説の中に出てくる殿様は「老人を大切にしない、徹底したコスト管理による合理主義者」だ。そう、長幼の序やそのほかの秩序を無視し、徹底した実力主義、合理主義で物事を判断しなければ生き残っていけなかったのも戦国時代。その戦国時代に、信州、現在の長野県を支配していたのは、ほかならぬ武田信玄である。武田信玄は、名君として知られているが、しかし、その影では陰謀や合理化によって人々を傷つけたのである。もちろん、そのようにしなければ生きてゆけなかった時代。しかし、そのようなことがわかっていても、「うらみ」が募るのが人間というものである。

 姥捨て山伝説が、戦国時代に領国争いに明け暮れた合理主義者、「武田氏」の行く末を暗示していたといっても過言ではなかろう。

■領国争いにさらされた「姥捨て山」

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冠着山
「姥捨て山」とは、現在の長野県千曲市東筑摩郡にある「冠着山(かむりきやま)」という山と、それにつらなる山々だといわれている。これらは武田信玄と上杉謙信の一騎打ちの行われた、川中島の合戦に隣接する山である。現在の松居城、当時の海津城から眺められる山で、当時の川中島合戦画屏風にも書かれている山だ。

tocana

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