なぜ、沖縄人は本来の名前を隠すのか? JR福知山線脱線事故が遺した、沖縄差別の歴史と記憶

tocana / 2014年5月2日 21時0分

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かつてメディアを賑わせた凄惨な事件や悲劇的な事故。事件記者がその現場に残された〝遺物〟をたどる――。

 死者107名、負傷者562名を生む大惨事となったJR福知山線脱線事故が起きて、まる9年がたった。

 スピードと効率を最優先し、安全意識を疎かにするJR西日本の企業体質や、「日勤教育」と呼ばれる乗務員への懲罰制度、過密ダイヤ...。事故原因が追及されていくのに伴い、日本の交通インフラが抱える構造的問題をも浮き彫りにした。


■乗客名簿に記された沖縄人の名前

 事故が起きたのは尼崎から宝塚に至る区間。乗客の多くも、阪神エリアに住む人々だったが、犠牲者名簿の中にこの土地の因縁を物語る名前があった。

「亡くなった方の中に、喜屋武さんという人がいた。沖縄由来の苗字。現地では『きゃん』と読むのが普通だが、亡くなった方の読みは、本来の読みでなく、本土風の『きやたけ』、だった」(事故を取材した新聞記者)

 大阪市内に、沖縄県出身者が数多く集まる「大正区」という集落があることは広く知られている。

 実は、JR福知山線の起点となる尼崎にも、沖縄からの移住者が多く住む地域が存在する。

 事故の犠牲になった2人も、何らかの事情で海を渡った「うちなんちゅ(沖縄人)」の類縁になるわけだが、あえて古里での苗字の読みを変えたのには理由があるのだ。

「苗字の読みをあえて変えたのには、出自を隠す意味合いもあったようです。かつて、『うちなんちゅ』であるというだけで差別を受ける時期があった。事故で亡くなった2人がそうした理由で読みを変えたのかは定かでないが、何らかの事情があったのは間違いない」(郷土史研究者)


■沖縄差別と、埋まらぬ溝

 かつての沖縄差別を象徴するような事件が1903年にあった。大阪・天王寺で開かれた「第5回内国勧業博覧会」に出展された「学術人類館」というパビリオンの展示内容が物議をかもしたのだ。

「朝鮮人、北海道のアイヌ人、台湾高山族やアフリカ人らとともに、沖縄人が学術研究資料の名目で『見世物』として展示された事件です。展示されたのは人形ではなく本物の人間。人権を無視する展示内容に沖縄側から強い反発が出た」(同)

 しかも、「琉球の貴婦人」と銘打たれて連れて来られたのは2人の遊女だった。当時、沖縄に対して、いかに根強い差別意識があったかがうかがい知れる。

「当時は、『琉球人お断り』と書かれた看板を掲げる店もあった。そのため、戦前に沖縄から移住した人たちの中には、わざと本土風の読みに変えたり、なかには苗字自体を変えてしまう人もいた」(先の研究者)

 皇民化教育が先鋭化していた当時の沖縄では、こうした本土への同化意識は歓迎される傾向にあった。
しかし、太平洋戦争で地上戦を経験し、沖縄だけが日本の統治から切り離され、米軍の支配に置かれるなどの扱いを受けるに至り、人々の意識は変貌を遂げた。

「沖縄全体に、やまとぅんちゅ(大和人)、つまり本土への嫌悪感が広がった。その憎しみは本土に同化した沖縄人にも向けられ、姓の読みを変えたりした人を『裏切り者』と見る風潮が出てきた」(沖縄のマスコミ関係者)

 戦争を経験した世代や団塊の世代には、いまだその意識を強く持つ人が少なくないという。

 事故の悲惨さを物語る黒い縁取りのついた名簿。そこには、運命に翻弄された市井の人々の歴史と記憶も刻み込まれている。
(文=KYAN岬)

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