ぐうたら息子と鬼の家族! “日本初“の保険金殺人「日大生殺し事件」とは?

tocana / 2014年12月8日 14時30分

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――日本で実際に起きたオカルト事件、B級事件、未解決事件など、あなたが知らない、前代未聞の【怪事件】を今一度振り返る!

「強盗に入られて、兄さんが殺されました。すぐに来てください!」

 昭和10年11月3日午前2時半頃、寝間着姿で裸足の男女が、東京市の本富士警察署壱岐坂派出所に駆け込み、警察官に叫んだ。

 警察官は、本郷弓町の徳田家に向かった。家に入ると、血だまりに徳田貢(当時、24)が倒れている。刺し傷17カ所、切り傷5カ所、体中にある傷は、足裏にまで及んでいる。

 貢の母親の徳田ハマ(当時、46)が、状況を説明した。

「午前2時頃、押し入ってきた20歳くらいの男が、私を起こして、金を出せと出刃包丁を突きつけてきたんです。怖くて60円を差し出したんですが、2階に寝ていた貢が騒ぎに気づいて降りてきて、男を捕まえようとしたんです。包丁を振りかざす男に、柔道2段の貢が組み付いたんです。男は貢をメッタ刺しして、60円を奪って逃げたんです」

 当時は、大学卒の初任給が、70円という時代であった。

 家に住んでいたのは、ハマと長男の貢の他、長女の栄子(当時、21)、次女の秀子(当時、17)、次男の充(当時、11)の5人であった。派出所に駆け込んだのは、次女と次男である。父の寛(当時、51)は、樺太の敷香で医院を開業していた。

 強盗殺人事件として、本富士署は緊急警戒網を張った。タクシー業者や旅館に聞き込みをかけ、ラジオを通じて目撃者を探した。それでも、何ら手がかりはつかめなかった。

 父の寛が樺太から帰ってきて、11月9日、貢の葬儀が執り行われた。

「これも運命ですから......」


■疑惑

 強盗に果敢に立ち向かった息子を、誇りに思ったのであろうか。寛は哀しみを顔には出さず、落ち着き払った態度で弔問客に接した。

 1カ月経っても手がかりは得られず、警察は次第に家族へ疑いの目を向けた。当初から、おかしいと思われることはいくつもあった。

 凶器となった包丁は台所の流しにあったが、血が洗い流されていて指紋が採れなかった。台所の高窓から犯人が侵入したとのことだが、その形跡がない。畳の上の血に残った足跡は、ハマと栄子のものしかない。逃走するのが目的だった犯人が、貢の足の裏まで刺しているのは不自然だ。そして、ハマや榮子が語る犯人像は、貢によく似ていた。


■家の秘密

 家族は、貢は善良な息子であったと述べたが、警察が調べるとまるで違っていた。貢は中学時代から酒、煙草をやり、日本大学専門部歯科に裏口入学したものの、カフェー、ダンスホール、マージャンクラブ、遊郭などに入り浸り、5年間在籍しているにもかかわらず、いまだ3年生であった。

tocana

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