米政府と20年間UFOを調査した科学者、懐疑派から転向! 「2割は説明不可能、宇宙人は…」ハイネック博士の結論とは!?

TOCANA / 2019年2月12日 18時0分

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 今年1月8日から、米ケービルテレビ「ヒストリー」で、米空軍のUFO調査記録を題材にしたTVシリーズ「Project Blue Book」が放送され、話題になっている。

題材となっている「プロジェクト・ブルーブック」は、1952年から1969年まで続けられたUFO調査記録のことだ。UFO現象を少しでもマジメに勉強した人なら、同プロジェクトで中心的な役割を担ったJ・アレン・ハイネック博士の名は聞いたことがあるだろう。だが、ハイネック博士は当初UFO現象に対して極めて懐疑的だったことはご存知だろうか?

 ハイネック博士は1910年5月1日、ハレー彗星が地球に最接近する直前にシカゴで生まれ、1986年4月27日ハレー彗星とともに75歳でこの世を去った。

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 ハイネック博士は幼少期に猩紅熱(しょうこうねつ)にかかり、病床でアメリカの著名天文学者であるサイモン・ニューカムの「Elements of Astronomy」を読んだことで天文学への関心が芽生えたそうだ。1932年にシカゴ大学で天文学の修士号を取得し、最初の妻マーサ・アレクサンダーと結婚した。天文学の博士号を取得後は、オハイオ大学で教鞭を取った。

 根っからの天文学者だったハイネク博士に転機が訪れたのはちょうどこの頃。第二次世界大戦中から高速で飛行する奇妙な発光体、通称「フー・ファイター」の存在が報告され始め、1947年には世界的なUFOブームの直接的なきっかけとなった「ケネス・アーノルド事件」が起こった頃だ。

 ケネス・アーノルド事件の翌年、1948年に米政府はプロジェクト・ブルーブックの先駆けとなるUFO調査「プロジェクト・サイン」を始動。同プロジェクトが、オハイオ大学の勤務地からも近いオハイオ州の空軍基地に設置されたことで、天文学の専門家であるハイネック博士に白羽の矢が立った。

 当初、ハイネック博士はUFO現象に懐疑的な立場だった。UFO現象は、真珠湾攻撃による国民のトラウマ、あるいはソ連の爆撃に対する恐怖が生み出した錯覚に過ぎないと考えていたようだ。ところが、米空軍のUFOレポートを分析するうちに、8割は科学的に説明可能であるものの、2割ほど説明できないケースが混じっていることが分かり、ハイネック博士はUFO現象の研究にのめり込んで行った。

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