1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. スポーツ
  4. 格闘技

藤波辰爾〝幻〟のNWA王座の舞台裏 深夜のイチャモンで取り消しに…流智美さん明かす

東スポWEB / 2024年9月22日 10時4分

フレアー(奥)を場外に投げる藤波。これがオーバーザトップロープと指摘された(1991年3月、東京ドーム)

【プロレス蔵出し写真館】2022年10月1日に79歳で亡くなったアントニオ猪木さんの三回忌法要が今月8日、横浜市の総持寺で営まれた。藤波辰爾や前田日明、船木誠勝、佐々木健介、小島聡ら多くの関係者が参列。

藤波は「現実、怒鳴られることはないんだけど、だらしなくなったら、どっかで活を入れてくださいって感じですよね」と語っていた。

まだまだ現役を続行中の藤波は11月22日に、自身が主宰する「ドラディション」の後楽園ホール大会で〝現役バリバリ〟新日本プロレスの高橋ヒロムと一騎打ちを行う。

さて、藤波は今から33年前の1991年(平成3年)3月21日、東京ドーム「’91スターケード IN 闘強導夢」で、猪木が成し得なかった快挙を達成した。王者リック・フレアーを破り、NWA世界ヘビー級王座を奪取したのだ。

自身の保持するIWGPヘビー級王座を賭けフレアーとダブルタイトル戦を行い、23分6秒、グラウンドコブラでピンフォールを奪い、全日本プロレスのジャイアント馬場に次ぐ日本人で2人目のNWA世界王者となった。

ところが、これが〝幻の〟王座戴冠となってしまう。

その日の試合後、六本木のTSK・CCCホールで行われたさよならパーティーの冒頭、ベルトを手にした藤波をフレアーが祝福。ビッグバン・ベイダーやスティングらにも声をかけられ笑顔を見せていた。テーブル席では長州力、マサ斎藤とダスティ・ローデス、バリー・ウィンダムらが談笑。テレビのゲストで来場していたタレントの菊池桃子も参加していて、若手選手が記念撮影をせがむなどパーティー会場はなごやかなムードが漂っていた。

〝アクシデント〟はパーティーが終わった深夜に起こった。

ローデスとウィンダムが「裁定は無効」と坂口征二社長と藤波に詰め寄ったのだ。「3カウントを入れたのは新日本所属のサブレフェリーのタイガー服部。カウントの直前に藤波はフレアーをトップロープから投げ捨てた。これはオーバーザトップロープの反則行為(写真)。フレアーの反則勝ち。もしくは無効試合だ。ベルトの移動は認められない」とクレームをつけた。

たしかに試合終盤、フレアーがメインレフェリーのアルフォンソに激突して場外で失神。サブレフェリーの服部がカウントを数えた。

ローデスらは「ベルトはWCWが預かり、保留とする」として、ベルトを持ち去ってしまう。

翌22日、午前7時半に坂口社長、倍賞鉄夫取締役が宿舎の京王プラザホテルを訪ね、直談判したがまったくラチがあかず、NWA勢一行は正午発のJAL10便でベルトを持ったまま帰国してしまった。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください