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巨人の隠れた伝統が復活したらしい…阿部監督の取材拒否原点は「哲のカーテン」?

東スポWEB / 2024年9月24日 11時38分

甲子園球場のファンに手を上げて応える阿部監督

【赤ペン! 赤坂英一】巨人の“隠れた伝統”が復活したらしい。優勝を目前にした阿部監督の言動に、王、藤田、長嶋など、歴戦の先輩監督の姿がダブって見える。

優勝マジック9が点灯した19日の試合後、阿部監督が今季3度目の会見拒否。その間、緊急ミーティングを招集してゲキを飛ばしていた。報道陣にはその後、改めて直接コメントを出している。

実はこれ、私が巨人の取材を始めた1988年の王監督のやり方にそっくりなのだ。当時も試合終了直後にチームの全員を招集し、会見はいつも後回し。「緊急ミーティング」は王監督の代名詞のひとつになったほど。

王監督はこのシーズンを最後に監督を退任。95年にダイエー(現ソフトバンク)監督に就任してからも、何度も緊急ミーティングを行っていた。

取材拒否する時は徹底して口をつぐんでいたのが藤田監督。90年の開幕前、桑田の不祥事が発覚し、1か月出場停止処分が下ると、しばらく完全に口を利かなくなった。桑田を批判したマスコミへの抗議の沈黙だった。

誰にも優しく、明るく接していた長嶋監督も、やはり取材拒否したことはあった。大敗した試合後、ぶら下がる記者に、「なし、なし」と、手を振りながら去った珍しい姿はいまも忘れ難い。

また、取材に応じても「もうコメントしようがない」と嘆いていた時もある。“巨人キラー”と呼ばれたヤクルト・川崎に抑えられた試合後だ。

「打てないんだからしょうがないでしょう。どうやって打てばいいんですか。教えてくださいよ」

阿部監督も6月8日、2試合連続零封負けした試合後は「(会見は)最短4秒だったな。2秒でいこう。何もない」で終了。昔の長嶋さんとはニュアンスが異なるが、どちらも指揮官としての本音を率直に表したコメントといえるだろう。

そんな巨人監督の取材拒否の原点は、V9時代(65~73年の9年連続リーグ優勝と日本一)の名将・川上監督にあると思う。当時、グラウンドから報道陣を締め出した取材規制は名前の哲治にちなんで「哲のカーテン」と呼ばれていたほど。

その川上監督が初めて日本シリーズに臨んだ61年、第1戦で南海に0―6で完敗した試合直後のこと。川上監督は報道陣にこう言い放った。

「負けた方の会見などやらんでもよいだろう。あっち(南海)に行け」

この取材拒否宣言は全国紙に掲載された。当時、川上監督はまだ就任1年目の41歳。今の阿部監督より4つも若かった。

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