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【ザ・グレート・カブキ連載#20】攻めるだけだった長州力率いるジャパンプロレスへの対抗策

東スポWEB / 2024年9月24日 16時8分

長州力(左)らジャパン勢が全日本に参戦(85年1月)

【ザ・グレート・カブキ 毒霧の真実(20)】自分が「ザ・グレート・カブキ」となって日本に凱旋し、若手の三沢光晴や川田利明らを指導していました。そんな中で1985年、全日本プロレスに参戦してきたのが長州力率いる「ジャパンプロレス」でした。

彼らと全日本の選手の試合は最初、まったくかみ合いませんでした。なんせ、向こうが一方的な攻めだけで終わっちゃうから…。自分はそれを見て「こいつら、攻めることしかできないの? 大したことないなあ」と思いましたね。スポーツってなんでも、攻めたり攻められたりが見せ場なんだと思うんですよ。

野球でもサッカーでもそうでしょ。お互いに攻撃し、守備もする。それなのに、ジャパン勢はそれをお客さんに見せないで、ただ一方的にガンガンやって「はい、終わりました」ではね…。自分は攻めを受けるのは問題なかったけど、お客さんからしたら「はあ? それで終わりなの?」ってなりますよね。

だから、しばらくしたら、こっちが逆にガンガン攻めるようにしたんです。向こうに攻めさせないで。攻めて攻めて攻めてから「おい、帰るぞ」って試合を投げて帰ったんです。そしたらジャパン勢はビックリしてましたよ。その後は彼らもキチンと攻防をするようになりました。そういうやり方はもちろん、米国で学んだんです。

ああいう攻め一辺倒でやりたがるスタイルのレスラーって、米国にもいたんですよ。自分だけをお客さんにかっこよく見せようとするだけのヤツが…。そんなの、ボコボコにやっちゃえばいいんです。そしたら二度と来なくなるんで。それと同じことを全日本マットでも、やっただけでした。

ちなみに、このころは全日本と「WCCW」に出ていて、日本と米ネバダ州のダラスを行き来していました。85年の8月も米国にいたんですけど、そこに新日本プロレスの副社長だった坂口征二がやって来てプロモーターのフリッツ・フォン・エリックと業務提携の交渉を始めました。この当時、WCCWは全日本と契約していたんです。

だけど、新日本と全日本はレスラーたちの“引き抜き合戦”の真っただ中。WCCWとの提携交渉も、その一環のことだったんですが「俺は米国が拠点だから、関係ありません」って感じでした。全日本のリングに上がってはいましたけど、別に所属契約を結んでいたわけではないから。ただ坂口から「新日本に来ないか?」って誘われたんですけど「いやだよ、面倒くさくなるから」って即座に断りましたね。

全日本への「義理」がどうこうというより、とにかく日本プロレス界の面倒事に巻き込まれたくなかったんです。ただこの後、自分は拠点を日本に移すことに決めます。その理由は…。

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