1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 社会

再審無罪判決の袴田巌さんは元日本ランカー ボクシング界は44年間総力で支え続けた

東スポWEB / 2024年9月26日 15時0分

2014年5月に行われた「ボクシングの日」ファン感謝イベントで、多くのチャンピオンと記念撮影する袴田巌さん

1966年に静岡県清水市(現静岡市)で起きた、みそ製造会社専務宅が燃え、一家4人の遺体が見つかった事件で、強盗殺人などの罪により死刑が確定していた袴田巌さん(88)の再審公判で26日、静岡地裁(国井恒志裁判長)は無罪判決を言い渡した。逮捕から58年にして司法から潔白を証明された袴田さん。日本ランキング6位まで上がった元プロボクサーを、ボクシング界は世界王者を含めて総力で支援してきた。

袴田さんは当初から無実を訴えてきたが、静岡県警の拷問的取り調べを受けて作成された自白調書など45通のうち1通が証拠採用(44通は却下)され、80年に死刑判決が確定。1回目の再審請求は通らず、2008年の第2次再審請求が認められ、14年の再審開始決定を経て無罪判決に至った。

袴田さんはみそ会社の従業員で近くの寮に住んでいて、検察側は再審でも「全体として犯人性を裏づける」証拠があると主張。一方、捜査段階で警察が袴田さんを「ボクサー崩れ」と悪意をもってみなしていたことなどが再審支援者らによって語られてきた。

再審決定前、元世界スーパーウェルター級王者の輪島功一氏は「ボクサーはこういう人間だと決めつけられるのが、腹が立って腹が立って仕方ない」と憤り、「袴田さんは無実。(国側は)それが分かっているから刑を執行できない。早く出してボクシングを見せてあげたい」と語っていた。

再審決定から間もない14年5月、「ボクシングの日」イベントで東京・後楽園ホールのリングに元世界王者で日本プロボクシング協会会長(当時)の大橋秀行氏(井上尚弥のジム会長)ら多数のボクサー・関係者と上がった。WBCから名誉チャンピオンベルトも贈られた。後楽園には「袴田シート」が設けられ、15年には再び訪れて観戦した。

同協会には「袴田巌支援委員会」があり、元東洋太平洋バンタム級王者で川崎新田ボクシングジム会長の新田渉世氏らが拘置所時代の袴田さんと面会するなど熱心に取り組んできた。委員会ウェブサイトによると、死刑確定の80年に「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」が発足し、ボクシング関係者らが参加している。

90年、元世界2階級制覇のファイティング原田氏が後楽園のリング上で再審支援をアピール。以後、イベントやチャリティーボクシング、街頭行動、声明文、記者会見など、元世界王者も含めて数えきれない活動が息長く続けられてきた。

袴田さんは地元静岡で開催された国体などでアマチュアボクサーとして活躍後、上京して不二拳闘クラブからプロデビュー。60年には現在も破られていない年間19試合を戦った。日本ランキングは最高がフェザー級6位。体調不良で61年に引退し帰郷。みそ会社に就職し、再起を目指していたところで事件に巻き込まれた。

米国では袴田さんと同じ66年、地域王者になったプロボクサー、ルービン〝ハリケーン〟カーターさんが殺人事件で終身刑となり、19年服役の末に判決破棄で冤罪を晴らした例がある。ボブ・ディランが75年リリースの「ハリケーン」で歌い、ヒットした。カーターさんは袴田さんにメッセージを送り、再審決定翌月の14年4月に世を去った。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください