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我が子を追い詰める教育虐待は「トンビがタカを生む」幻想の影響なのか

LIMO / 2019年8月11日 10時45分

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我が子を追い詰める教育虐待は「トンビがタカを生む」幻想の影響なのか

昨今、社会問題になっている教育虐待。教育熱心な親が、子どもの勉強や習い事に度が過ぎた強要をし、しまいには暴行や虐待にまで至ってしまうケースが相次いでいます。今回は、誰しもが当事者になるかもしれない教育虐待に潜む問題や筆者の実体験を述べます。

少子化による学力の二極化、一人っ子の増加・・・教育虐待の危険性は誰にでもある

止まらない少子化とともに、昨今は子どもの学力の二極化も激しくなっているようです。教育虐待の背景には「子どもの将来のため」という大義名分や、「自分のようになってほしくない」もしくは「自分はこれだけ頑張ってきて今がある」といった親の理想や成功体験の押し付けが隠されていると言います。

そのため、教育虐待をしている当の親は自身の行動に疑いを持てず、子どもの苦しむ姿やSOSさえ軽く見なしがちに。その結果、心身に過度なストレスを感じたり不登校になったりする子どもは少なくありません。また、子ども自身の性格に歪みが生じてしまったり親子の信頼関係に影響を及ぼしたり、最悪の場合には、しつけや教育と称して親が子どもを死に至らしめてしまう事件も起きています。

親が子どもを教育虐待してしまう理由としては、少子化や競争社会の中で子どもに求めるハードルが高く、またそのハードルも多種多様になっている現状もあるでしょう。受験に合格することは当たり前として、親はプログラミングや体操、ピアノ、水泳などの課外学習や習い事を通して子どものスポーツやスキルを伸ばそうと躍起に。

かつてはきょうだい複数人に分散していた親の期待が、特定の子ども一人に集中し、その子どもに全力を注ぐ親は珍しくありません。教育虐待は、誰しもが当事者になるかもしれない問題なのです。

勉強する意味や自発的な気持ちがなければ子どもは勉強しない

筆者の母は大学受験に失敗し、高卒で銀行に就職。自分自身が大学に行きたかったのに行けなかった後悔から、筆者含めて娘3人には小学生の時から常々「行きたい大学が見つかった時に、選択肢が多くなる程度の学力を身につけてほしい」と言っていました。そして、「“勉強”は強制しないけど、“宿題”は絶対にしなさい」とも。勉強とは自分に足りないことやもっと知りたいことがあった時に自主的にするものであり、宿題は義務としてやらなければいけないものだと教育されてきました。

この「好きな大学を選べるように」「勉強と宿題の違い」という母の考えは、中学生の頃になるとよく理解できました。やるべきことと自分のためにやった方がいいことの区別がつき、いま勉強することでこの先にどんな出来事が待っているのかを具体的にイメージできたからです。「あなたのため」「将来の就職のためにちゃんと勉強をしなさい」といった漠然とした物言いをされていたら、きっと筆者は勉強しなかっただろうと思います。

一方、高校受験の試験日2か月前のある時期、筆者はパタっと勉強をしたくなくなりました。特に大した理由はなく、受験勉強直前の追い込みをする前に少しサボりたくなったのです。テレビばかりを見ていた筆者を見て母は、叱らずに「何かあったの?」と聞いてきました。上記の勉強しない理由を上手に言葉にできず「なんでもない。でも今は勉強したくない」と拗ねていた筆者に対し、母は「まあ、いいか。あと3日くらいしたら勉強再開したらいいよ」と買い物に連れ出してくれました。

買い物をしていると、徐々に受験勉強をしていない焦りが自分の中にムクムクと湧き出てきた筆者。結局、買い物を切り上げて帰宅し、すぐに机に向かいました。母は、筆者が自発的に「勉強する」エネルギーが出なければ勉強しないことをわかっていたのかもしれません。

結局、筆者たち姉妹3人は全員が地元の志望高校、志望大学に現役合格。筆者に至っては、予備校に通わずに赤本で過去問をひたすら解くという勉強法で早稲田大学に合格できたので、母の教育によって自発的に勉強する力が身についていたのだろうと今になると感謝しています。

ある程度の子どもの自主性は、自己肯定感や生きていく自信にもつながる

7月下旬に放送された「水曜日のダウンタウン」(TBS)では、「トンビがタカを生むにも限界ある説」と題して、中卒の親を持つ東大生の女性にインタビューした様子を放送。その女性は、「トンビが生んだものはトンビだけど、親のトンビの育て方が良かったからタカっぽくなった。今の私があるのは親のおかげ」と語り、ネット上では称賛の声があがっていました。

子どもを自分の分身だと思うがあまり、子どものためを思って「こうなってほしい」「こうならないでほしい」という期待や理想を押し付けてしまう教育虐待。しかし、多くの教育虐待における「子どものため」は親による「自分のため」であることも少なくありません。

子どもが勉強のやる気を失った時、「勉強しなさい」と叱るよりも、会話をしたりゆっくりと子どもの自己決定を見守ったりする方が、自分から勉強するきっかけになることもあります。筆者の経験から言えば、勉強や受験で親がある程度の自己決定権を尊重してくれたことが、自己肯定感や生きていく自信を育ててくれたと思います。

子どもは自分とは別の人間であり、理想や期待を押し付けることは不毛であると自覚すること。「とにかく子どもに勉強をさせなければいけない」と焦るのではなく、勉強する意味や理由を各家庭の教育方針として固め、具体的に説明した上で子どもの自主性を見守ること。子どもの教育に悩んだ時には「これは本当に子どものためなのか、それとも自分のためなのか」を立ち止まって考えること。場合によっては専門家に相談することも必要かもしれません。

当たり前のことですが、子育てに一生懸命になればなるほど、こうしたことを見失いがちになります。教育虐待をして子どもを苦しめる親にならないために、時には立ち止まって考えてみることも必要なのではないでしょうか。

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