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デジタル庁は「経験、勘、度胸」の日本型社会を打破できるか

LIMO / 2021年1月24日 18時5分

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デジタル庁は「経験、勘、度胸」の日本型社会を打破できるか

新型コロナウイルスの一連の報道で、よく「エビデンス」という言葉を耳にするようになりました。エビデンス(evidence)とは、「根拠」あるいは「証拠」という意味。もともとは医療分野でも多く用いられていました。報道では「そのコロナ対策にはデータの裏付けがあるのか」という文脈で、エビデンスという言葉を使っていることもよくあります。

実は経営・マーケティングの分野では、以前から「データ駆動型経営」という考え方が注目を集めています。今回は来るべきデータ駆動型社会のカタチや、注目を集めるデジタル庁について考えていきます。

データ駆動型経営あるいは「データドリブン(駆動)経営」と呼ばれる、この考え方の本質は、「ビッグデータを質的データ・定性データ化し、そのデータに基づいて経営的な意思決定を行うこと」です。この考え方の特徴は、データ分析をもとに、判断や決定などの次のアクションを起こす一連のプロセスをつくりあげることです。

従来のデータ分析は、たとえば事業課題ごとに仮説をたて、仮説に基づいた検証・分析が中心でした。データ駆動型経営が注目される背景は、電子メールや検索履歴、XML、SNS、音声、画像など、これまでのデータ分析の対象外であったデータ(非構造化データ)も、AIの進化によって取り扱いが可能になりつつあることがあげられます。

日本型経営は「KKD」、政治もテクノロジー音痴

データ駆動型経営に対して、従来の経営スタイルをKKD経営と呼ぶことがあります。これは経験(K)、勘(K)、度胸(D)の頭文字から命名されています。ここで日本のコロナ対策を連想する方もいるかもしれませんね。ザックリ言えば、巷を騒がすバスワード「DX」(デジタルトランスフォーメーション)も、このデータ駆動型経営のための方法論としてとらえることも可能です。

IT革命による「KKD(経験/勘/度胸)」から「データ駆動型」へのシフト。これは経営の領域だけではなくあらゆる分野のトレンドです。たとえば金融分野におけるフィンテック(FinTech)なども、その好例です。つまり、近い将来、社会全体がデータ駆動型へと更新されることになります。そのようななかで、日本の政治の世界はどうでしょうか。

少し前に、小泉進次郎氏が落合陽一氏との対談で「ポリテック」という概念に言及していました(「日本進化論」収録)。これは「Politics(政治)」と「Technology(技術)」を掛け合わせた造語です。「政治にテクノロジーを」という主張で、たとえば米国の農業分野の「土地改良」におけるAI活用事例などが取り上げられています。

小泉氏は「ポリテック」が注目を集めることを願っていましたが、その兆しは見えません。世間の印象として「日本政治」と「テクノロジー」は「水と油」なのかもしれません。

平井デジタル改革相が認めたIT活用の失敗

昨年(2020年)秋の平井デジタル改革相の日経インタビューは衝撃的でした。新型コロナに対するIT活用の失敗を認め、“デジタル敗戦"との認識を示しました(日経クロステック2020.10.27)。さらに、2001年のIT基本法施行から「e-Japan戦略(2001年)」や「世界最先端IT国家創造宣言(2013年)」も実現できていないとしました。

では、平井デジタル改革相の考えるデジタル庁構想の本質はどこにあるのでしょうか。

インタビューから抜粋します。それは「目指す社会の姿は経済成長と社会課題の解決を両立するソサエティ(Society)5.0」。ちなみにソサエティ5.0とは日本政府の提唱する科学技術基本計画第5期の「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステム」を指します。ソサエティ3.0が工業社会、ソサエティ4.0が情報社会と定義されています。

前半で説明したデータ駆動型社会も、このソサエティ5.0の一環としてとらえることが可能です。平井大臣の構想は、現在のデジタル世界の流れから言っても、きわめて正しいと思います。では、なぜそのような日本が“デジタル敗戦"してしまったのか。特別定額給付金ひとつとっても、迅速に給付できない“普通ではない国"から、果たして脱却できるのでしょうか。

最大の懸念はなにか。民間部門でDX推進がきわめて苦戦中であることも視野に入れて考えてみます。

デジタル庁への期待と不安

平井大臣は別のインタビューで興味深いことを語っています。「ソサエティ5.0は、一般の人たちにとって、身の回りがどう変わるのかというイメージがほとんどない」。実はこれがポイントのような気がします。

なぜ、イメージできないのか。大胆に想像するならば、それは日本の社会構造が「ソサエティ3.0(工業社会)」のままだからです。たとえば労働市場は一括新卒採用から始まり年功序列と終身雇用。産業構造も上流から下流のプロセスを一社で統合する垂直統合型。もちろん企業個別の変革はありますが、社会全体としては混迷しています。

これらの構造は、“モノづくり"に最適化した過去の栄光モデルです。そのなかで「経験、勘、度胸」でやってきたのが日本の姿です。社会の構造が更新されないと価値観も更新されません。たとえば「多様性(ダイバーシティ)」は脱工業社会では、企業や国の競争力の源泉ですが、日本では“マイノリティ保護"のニュアンスが強いのではないでしょうか。

現在は「デジタル=便利なツール」という時代ではありません。いかにデジタルを社会の中枢に実装するかのフェーズになっています。デジタル庁を本気で推進していけば現在の日本の社会構造や、その価値観と必ず衝突することになります。その壁を果たして乗り越えていけるのか。デジタル庁の本格始動に注目したいと思います。

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