「過労死」した46歳自治体職員の悲劇と妻子の今 読み継がれる6歳息子マー君の「ぼくの夢」

東洋経済オンライン / 2019年3月14日 7時50分

2000年に亡くなった和歌山県の自治体職員。息子マー君がしたっていた「お父さん」はどんな人だったのでしょうか。写真はイメージ(写真:aijiro / PIXTA)

大きくなったら

ぼくは博士になりたい

そしてドラえもんに出てくるような

タイムマシーンをつくる

ぼくは

タイムマシーンにのって

お父さんの死んでしまう

まえの日に行く

そして

「仕事に行ったらあかん」

ていうんや

2000年にお父さんを亡くした6歳の男の子、マー君の言葉だ。「ぼくの夢」というタイトルの詩となり、20年近くたった今も大切に読み継がれている。

わたし自身、この詩を読むたびに涙がこみ上げてしまう。大好きなお父さんが急にいなくなってしまったマー君。愛する妻子を残して命を絶たざるをえなかったお父さん。2人の気持ちを思うと、胸が苦しくなる。

マー君の父、塚田浩さん(仮名)は、和歌山県橋本市の自治体職員だった。かかえきれない仕事の山に押しつぶされ、2000年3月に自ら命を絶った。当時46歳。働きすぎが原因でうつ病になり、最悪の結果に至る「過労自死」の典型例といえる。マー君が心からしたっていた「お父さん」は、どんな人だったのだろうか。

『過労死 その仕事、命より大切ですか』では過労死遺族の「今」に迫った。

■子煩悩なパパに訪れた転機

2015年10月、わたしは和歌山県橋本市にある塚田さん一家の住まいを訪ねた。浩さんの妻、美智子さん(仮名)が取材に応じてくれたのだ。

仏壇に案内してもらい、線香をあげると、浩さんの遺影があった。髪を七・三に分け、メガネをかけてほほえんでいる。自然体の笑顔は、これから大切な取材を始めようというわたしの緊張感を解きほぐしてくれた。

塚田浩さんは地元の橋本高校の出身。兵庫県の大学を1977年に卒業すると、地元の橋本市役所に入った。水道の管理や年金の事務などに携わったが、律義な性格が買われ、どの部署でも周りからの信頼は厚かった。  

家に帰れば子煩悩なパパだった。1988年に長女が生まれると、浩さんは「名前は生まれてはじめての贈り物だ」と言い、名付けの参考書を7冊も買いこんだ。数年後に美智子さんがマー君を授かったとき、飛び上がるほど喜んだのは言うまでもない。歴史が好きだった浩さんはしばしば、幼稚園児のマー君を近くの郷土資料館につれていった。小さな息子に昔の道具の使い方を熱心に教えていたのを、資料館の元職員が覚えていた。

幸せを絵に描いたような家族の暮らしが断ち切られてしまうとは、誰が想像できただろうか。転機は1996年春に「総務管理課文書係」に配属されたことだった。

職員の給料から市内の施設の運営まで、市政のルールは「条例」や「規則」で決まっている。それぞれに担当課はあるが、ともに条例・規則の文案をつくり、市議会に提出するのが文書係の主な仕事だ。行政文書に誤りやあいまいな点があってはならないが、担当課は条文の書き方には詳しくない。文書係が担う役割は大きかった。

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング