「教科書が読めない」帰国子女が挑んだ受験戦争 息子の日本語力では「不利」と気づいた親は…

東洋経済オンライン / 2019年3月20日 8時10分

奮起させようと言ったのではなく、心からやめていいと思っているのだと伝えても、息子は涙を拭い、机に向かうことをやめなかった。

「もしかしたら本人は、英語が飛び交うところに帰りたい、つまり英語を話す子たちがいる学校に行きたい、という気持ちがあったのかもしれません」。恵美さんは当時のことをこう振り返る。

ひたすら問題をこなす日々を過ごしていった祐樹くん。最初こそ苦戦したが、辛くも次第に光が見えてきた。6年生の夏ごろには、なんとか志望校に手が届く偏差値に到達し、成績が落ち着きだしたのだ。

両親によるサポートも本格化した。勉強のスケジュール管理など普段の細かいケアは母親が担当し、学園祭などの学校見学には父親が積極的に連れて行くなど、夫婦で役割分担しながらフォローした。そして最終的な志望校選びでは、父親の勇さんの意見が大いに役立った。

勇さんは大手企業で働き、部下を持つ立場だ。社会で必要とされる人材はどういう人で、どういう道を歩んできたのか。そう考えたとき、「やはり大学には行ってほしい。そして自分の考えにはなりますが、大学までエスカレーターできた人よりも、大学受験でもまれてきた人のほうが、底力のある人材が多い気がします」と勇さん。父親のこの肌感覚を基に、志望校の条件は「上に大学のついていない学校」と決めた。

成績と、家庭の方針を基に、塾の先生と志望校を相談。第3希望までを決め、願書を提出した。

短距離走を駆け抜けるような14カ月間の中学受験だったが、祐樹くんは見事に偏差値50台前半の第2志望の学校に合格。入学後はサッカー部に入り、英語の飛び交う、望みどおりの学校生活を謳歌しているという。

伊藤家のケースから感じるのは、帰国子女の場合は帰国後の本人の様子をしっかりと観察し、学校含めて本人にマッチする環境の情報を、いかに素早く手に入れるかがカギとなるということだ。「日本の学校ではやっていけないかもしれない」そんな息子の様子を両親が素早く察知し、情報集めに取り掛かったのが功奏したのだろう。

「本人が泣いても、“勉強しなさい!”と強く言ってお尻をたたける母親だったら、もっと偏差値が高い学校に行けたのかもしれませんが、泣く息子を見て私にはそれはできなかった。今の学校は第1志望ではありませんが、本当に息子をよく見てくれています。ここでよかったと思っています」。

こうした穏やかさが、彼を潰さずに受験を最後までやり遂げさせることにつながったのだろう。

■兄の様子を見て受験を決意した弟

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