「親の葬式をしなかった」59歳男に一生残る後悔 「葬式不要論」が合理的と断言できない理由

東洋経済オンライン / 2019年4月20日 13時0分

山中など土地への散骨については、「私有地なら節度をもって行えば可能」という見方もありますが、近隣とのトラブルになったり、永続性が保たれないという安定しない土地になるため、一般的には推奨されていません。なお、近年は「散骨禁止条例」等で、散骨を規制している自治体もあります。

■結局、お墓を探すことに

田中さんは、「父は東北の山深い町で育っていますから、海に特別な思いがあったとは思えません。散骨というのはなんだか違うような気がします」と語ります。さらに「この1年の間にお彼岸、お盆の行事などがありましたが、もし遺骨がなくなったらどうなるんだろう、と考えちゃうんですよね。やっぱりお墓ってあったほうがいいのかな、って」と続けます。

また、母親の意見は「お父さんはお墓はいらないと言っていたけど、私は自分が死んだら普通のお墓に入りたい。子や孫がお墓参りとかに来てくれたらうれしい」とお墓肯定派。夫婦によっても意見が違うので、単に父親の遺志だけをくみ取るというわけにはいかないようです。

「一周忌には間に合いませんが、三周忌までには母を含めて自分たちが納得のできるお墓を探したいと思っています。あまり派手なことを好まなかった父の意向も反映できたらいいですね」と、田中さんのお墓探しは現在進行中です。

ここ数年、葬儀からお墓など、一連の葬送儀礼の低価格化や合理化が進んでいます。無駄なものは省き、コストカットをしようという動きで、「葬儀・お墓不要論」も表出しています。確かに、「遺体の処置」だけに着目すれば、火葬だけで済ませたり、遺骨は散骨にしたりするという方法が合理的でしょう。火葬場によっては、遺骨の引き取りさえも拒否する人が増えているとも聞きます。

しかし「遺体の処置」のみを葬送儀礼というのであれば、有史以来、世界で弔いの儀式が今日まで続くこともなかったでしょう。そもそも冠婚葬祭などの通過儀礼は、第三者には不合理で非論理的に見えるものです。

田中さんは、Amazonの「お坊さん便」を利用しましたが、合理的な方法であると理解しつつも、これがいいとは正直思えませんでした。僧侶は丁寧で不満はありませんでしたが、今後、法要のたびにAmazonを利用して違う僧侶にお願いするのにも違和感がありました。

「父は自分たちに負担をかけたくないという思いで、葬儀不要、お墓はいらない、と言っていたのかもしれませんが、自分たちに限っていえばコストに反映されない負担の部分が大きかったような気がします」と振り返ります。

■「逝く側」「送る側」のギャップをどう埋める

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング