資本主義と闘った経済学者「宇沢弘文」の生き様 身命を賭して伝えようとしたLiberalismとは

東洋経済オンライン / 2019年5月24日 17時0分

『資本主義と闘った男』を書いた佐々木実氏(撮影:今井康一)

経済学という学問の「奥の院」のメンバーであり、ノーベル経済学賞に最も近かった日本人と称される故・宇沢弘文。主流派経済学の発展に寄与しながら、後に徹底批判へと転じた背景にあったものは何だったのか。86年の生涯を640ページ余で描いた『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』の著者、ジャーナリストの佐々木実氏に聞いた。

■アメリカでの地位を捨て帰国

──執筆のきっかけは?

竹中平蔵の評伝『市場と権力』の取材の一環でお目にかかりました。竹中に関する質問は早々に切り上げ、経済学者および経済学への疑問を次々にぶつけました。これまで出会った経済学者とは全然違う、深い問題意識を持つ碩学であるとわかったからです。

評伝を書く許可を得た後、宇沢の自宅で1日中話を聞く機会が何度もありました。私の経済学の知識が乏しかったため、執筆に時間がかかってしまいましたが。

──宇沢は米スタンフォード大学、シカゴ大学を拠点に活躍し、35歳でシカゴ大教授になりました。

アメリカでは若手で一、二を争う理論家と目されていました。宇沢と親しかったアロー、ソロー、アカロフ、スティグリッツに取材したのですが、ノーベル経済学賞受賞者の彼らがそろって、「ヒロ(宇沢のこと)は当然受賞すべきだった」と証言したのが印象的でした。

資本主義の不安定性を示唆する結論を導いた「宇沢二部門成長モデル」で宇沢弘文の名は世界に知られるようになりましたが、一般均衡理論や消費理論など幅広い分野でも業績を残しています。数学の能力に秀でていたので「経済学の数学化」の時流に乗り、評価は高まる一方でした。

──ところが不惑を迎える年にアメリカでの地位を投げ捨て、帰国。その後、『自動車の社会的費用』を著すなど啓蒙家として注目されます。

データ上では高度成長を遂げ輝いて見えた日本で、実際は公害が蔓延しているといった現実を目の当たりにします。しかもそれが経済学の盲点となる外部不経済の問題で、主流派経済学では分析できなかった。

水俣病の研究で知られる宇井純や原田正純のような、経済学者ではない知識人の影響も受けながら、公害を分析する理論を構築していきました。

──同時に、主流派経済学を猛然と批判するようになります。

宇沢が厳しく批判した論敵を1人挙げるなら、シカゴ大の同僚だったミルトン・フリードマンです。『資本主義と自由』『選択の自由』という、世界中で読者を獲得した市場原理主義の啓蒙書を著した経済学者です。

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