千葉県民の「関所」、錦糸町の変化は止まらない? 交通の利便性は抜群、地下鉄延伸計画もある

東洋経済オンライン / 2019年5月29日 7時10分

続いて江東楽天地は錦糸町駅の駅ビルに出資する。これは民間が国鉄の駅ビル建設の費用を一部負担する代わりに、新しい駅ビルにテナント出店することができる民衆駅制度を活用したもので、1959年には錦糸町民衆駅計画を発表。1961年から1962年にかけて「駅ビルきんし町」が開業した(1972年に「テルミナ」に改名)。そして1961年に社名を江東楽天地から東京楽天地に改めた。

1967年には6階建ての場外馬券売り場「楽天地ダービービル」(現在のウインズ錦糸町東館)が竣工。続いて江東楽天地を再開発する計画が作られ、1980年から1986年にかけて2期にわたって「楽天地ビル」が建設された。そのとき、核テナントとしては当初阪急百貨店を誘致する予定だったが、有楽町への出店予定があったため、代わりに西友の経営する百貨店形態店舗「錦糸町西武」が入居することになった。

その後、西友経営の百貨店形態店舗はすべて「リヴィン」に改称されることになり、1999年に「錦糸町西武」も「リヴィン錦糸町」にブランドを変えた(2017年に閉店、2018年に「西友」として地下1階だけの営業に変更)。このように「東京楽天地」の企業活動は錦糸町の発展に大きく関わっている。

■半蔵門線が発展に影響

対して錦糸町駅北口では2000年前後に相次いで落成した2つの再開発計画や地下鉄半蔵門線の開業が大きく発展に影響した。

最初に出来上がった再開発は北口のアルカタワーズである。元々1976年に国鉄の貨物ターミナル跡地と都電錦糸堀車庫跡地などからなる4ヘクタールの再開発計画が持ち上がった。その後1978年に北口改札が設けられ、1982年にバスターミナルが作られた。そして同年に「マイタウン東京構想」が東京都から打ち出され、それと連動して「錦糸町北口再開発」は国の「国鉄用地活用プロジェクト」の民活プロジェクト第1号に指定された。

1983年に「錦糸町駅北側用地活用検討委員会」が立ち上がると、住宅・文化施設・商業ビル・バスターミナルからなる再開発を計画し、1988年にはそごうと東武ホテルの出店が決まった。1997年に再開発が完成したものの、2000年にはそごうグループ破たんでそごう錦糸町店は撤退、2002年に専門店ビル「アルカキット錦糸町」として再出発した。

2002年から今度は東京建物が取得した精工舎工場が移転した跡地を再開発する工事が始まり、2006年に商業施設、住宅棟、オフィス棟からなる「オリナス」が完成し、東京楽天地が運営する「TOHOシネマズ錦糸町」が館内に開業した。

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