「プリクラ」を女子高生がスマホ時代に撮る理由 業界最大手のフリューが今も生き残った背景

東洋経済オンライン / 2019年6月18日 7時10分

プリントシール機メーカー、フリューが手がける直営店のmoreru mignon舞浜イクスピアリ店。朝には東京ディズニーリゾートへの入場前にプリを撮る人たちで長蛇の列ができるという(写真:フリュー提供)

「この前これ撮った!盛れた!」「いつも撮ってるやつ、並んでるじゃん」

5月下旬の金曜日夕方、渋谷センター街のプリントシール機(プリ機)専門店内では、制服を着た女子高校生や若いカップルが、どの機種で撮ろうかと歩き回っていた。

人気機種の待機列では女子高生2人が笑い合いながらスマートフォンで自撮りをしている。

最新のプリ機はさまざまな機能が追加され、進化しているのをご存じだろうか。

シール紙が半透明になっている機種、撮影スペースが広く大人数で撮れる機種、ハングルのスタンプが搭載されK-POPのBGMが流れる機種など、20台近くが所狭しと並んでいた。

■「プリクラ」ブーム全盛期が去った今

約20年前、平成初期に流行した「プリクラ」。その原点は、1995年にアトラスが発売した「プリント倶楽部」だ。

SMAP(当時)が出演する番組「愛ラブSMAP!」で取り上げられたのをきっかけに「プリント倶楽部」は一大ブームとなり、業界内外から多数のメーカーが市場に参入した。日本アミューズメント産業協会の「プリントシール機20年史」によると、1997年にはゲームセンターにおけるプリ機の年間売上高は1000億円を超えた。

翌年以降、ブームが急速に落ち着き、売上高が半分以下の約400億円にまでしぼんだ。そこで、業界各社は落書き機能の拡充や「写り」の追求に加え、カメラを可動式にする、ソファを設置するなどあの手この手で顧客に訴求。2002年には売上高が600億円規模まで回復し、「プリントシール機」の時代となった。

それでも、ゲームセンターの減少、スマホの登場を受けて利用者の減少には歯止めがかからなかった。足元のプリントシール機市場は縮小している。

年間売上高は、2007年の約307億円から10年後の2017年には約220億円まで落ち込んでいる。

この20年で18歳人口が3割近く減少する少子化の逆風もあり、各メーカーはプリ機業界から撤退している。「プリクラ」生みの親のアトラスは2009年に業務用ゲーム事業から撤退し、2018年10月には、ヒットを生み出してきた大手メーカーのメイクソフトウェアも倒産。プリ機市場は約9割のシェアを握るフリュー1強となっている。

フリューは、1998年プリントシール機事業に参入したオムロンのエンタテインメント事業が発祥。プリ機や消耗品のシール紙のほか、ゲームセンター向けにクレーンゲーム用の景品などを開発・販売している会社だ。

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