元・千葉ロッテ荻野忠寛が歩んだ野球以外の道 スポーツと選手の意識を高めるための活動

東洋経済オンライン / 2019年10月12日 8時10分

現在の荻野忠寛氏(筆者撮影)

千葉ロッテマリーンズの荻野忠寛(おぎの ただひろ)という投手を覚えている野球ファンは多いのではないか。

いまから10年ほど前にロッテの救援投手として活躍した。174㎝72㎏という小柄な投手だが、内角をズバッとつく小気味よい投球で、一時期はクローザーも務めた。引退後、荻野は野球指導者になったが、現在は野球にとどまらず、スポーツと子どものために、幅広い活動を展開して注目を集めている。

荻野は小学2年で野球をはじめ、桜美林高校で本格的に取り組む。体が小さくて、ドラフトにかかるレベルではなかったが、神奈川大学に進み大学2年春からエースに。頭角を現すもプロからは声がかからず、日立製作所に入る。社会人では過酷な登板を経験し、肩やひじに、かなりのダメージを受けた。2006年、大学生・社会人ドラフト4巡目でプロ入りする。

■プロ通算178試合に登板した荻野忠寛

プロでは、小宮山悟、成瀬善久ら一線級の投手のレベルの高さを目の当たりにして、「手を抜いて投げて通用する投手ではない」ことを痛感し、投球術に磨きをかけた。

1年目はセットアッパー、2年目はクローザーで活躍。しかし実質的なキャリアは3年(2007~2009年)で終わり、あとは肩、ひじの故障に泣く。最初の3年で169試合に投げたが、残りの5年で9試合にしか登板(2012年に5試合、2013年に4試合)できなかった。

しかし荻野にとって、その残りの5年間が非常に有意義だったという。荻野は2014年に戦力外通告を受けるが、翌2015年から日立製作所に復帰。この時点で、荻野は独自の「故障しないフォーム」を完成させていた。日立製作所ではエースとしてチームを創設以来初の都市対抗決勝戦に導く。準優勝に終わったが、2016年限りで現役を引退した。

さまざまなレベル、環境で野球をする中で、荻野はスポーツと選手の「意識」の問題を考えるようになった。

プロ野球のトップレベルの選手たちの意識の高さ、試合で見せる集中力、自分で組み立てる合理的で効率的な練習プログラム、そして体のケアにかけるコストと手間暇。

「僕は、野球選手には、たとえ育成枠でチャンスが回ってこなくてもいいから、機会があればプロ野球に行ったほうがいいと思っています。行って、一流の選手がどんな練習をしているか、どんな意識で努力しているかを実感すれば、人間は変わりますし、その後の人生も変わると思います」

それに引き換え、社会人以下のアマチュア野球の知識量の少なさ。意識の低さ。これでは、アマからいい人材は育たないと痛感した。荻野は技術や知識を教える以前に、「意識」レベルで教えるべきものがあると考えた。荻野はそれを「スポーツセンシング」と名付けた。

■優秀な人は「センス」をもっている

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング