郊外の「ポツンと新幹線駅」、集客をどう図るか 新青森の駅ナカは充実、だが駅前が寂しい

東洋経済オンライン / 2019年10月19日 7時10分

新青森駅前。今秋オープンする東横インが姿を現している=2019年10月(筆者撮影)

整備新幹線の駅の中には、建設の経緯でやむをえず、郊外に立地が決まった例がいくつもある。新函館北斗、新青森、上越妙高、新高岡……。これらの駅は時に「駅前に何もない」と冷ややかな視線を向けられ、住民の間にも不満は根強い。

周囲の景観や機能が大きく変わり始めても、「何もない」という当初のイメージが幻影のように居残り続けることもあり、対応が悩ましい。そんな中、筆者は新青森駅一帯を舞台に「ニュースレター」をつくり、地元の流れを変えようと模索を始めた。動きは上越妙高にも波及しつつある。各地の状況を俯瞰しながら、試みの概要をお伝えしよう。

■市民の意に沿わない立地

新青森駅は市中心部から4kmほど西に位置する。東北新幹線・盛岡以北の建設構想が停滞していた1986(昭和61)年、地元の不満を解消するために、奥羽線の青森―津軽新城間に開設された。実は筆者の実家からも徒歩数分の最寄り駅でもある。

もともと、新青森駅は必ずしも市民の多くの賛同を得て位置が決まった訳ではなかった。青森市は在来線の青森駅への新幹線駅併設を求め、足かけ8年にわたって県や国鉄と交渉に臨んだ。結局、要求は受け入れられず、市民の多くは挫折感を抱えた。

加えて、一時「コンパクトシティ政策」の先進地として脚光を浴びた青森市にとって、郊外に開業した新幹線駅は、いわば置き場所に困る存在だった。今日に至るまで、市民が心を寄せられる場所としては、必ずしも成長を遂げていない。

新青森駅周辺はもともと畑と宅地が混在する、のどかな地方都市の郊外だった。約2km南には特別史跡・三内丸山遺跡がある。遺跡のすぐ南東側には2006年、青森県立美術館がオープンした。

いずれも青森県を代表する観光スポットだ。また、新青森駅と三内丸山遺跡の間には、板画家・棟方志功や世界的報道写真家・沢田教一が眠る三内霊園もある。大きく見ると、新青森エリアは意外に、観光面のポテンシャルを持つと言える。駅が遺跡の上に建っているなど、隠れた話題もあることがわかってきた。

このほか、駅ナカには、JR東日本の系列会社が運営する物産館「あおもり旬味館」があり、品揃えは、同じ会社が運営する青森駅前の商業施設「A-FACTORY」に見劣りしない。ただ、駅の東口から真っすぐ2階コンコースに上がる旅客や、奥羽線から新幹線に乗り継ぐ旅客の動線からは微妙に外れ、その存在に気付かない人もいる。

■大学生「感動できるものがない」

筆者は弘前大学で非常勤の授業を担当し、今年初めて、学生たちを新青森駅にバスで連れ出した。彼らのほとんどは新青森駅を利用した経験があったが、それでも「こんな充実した駅ナカがあるとは知らなかった」という声が目立った。

駅の周辺を探索し、駅の隣接地域に建つ郊外型ショッピングセンターまで15分ほど歩けば着けることや、駅の敷地に隣り合って全国チェーンの家電店が立地していることを調べた学生もいた。

それでも、やはり学生たちの多くは「駅前に何かほしい」という感想を隠さなかった。「駅の周りに何もない訳ではない。感動できるものがない、というのが正しい」と記した学生もいた。ただ、その要因の1つは、駅と周辺のめぼしい情報が乏しいことではないか……。筆者にはそう感じられた。

同様の嘆きは、他の郊外立地の新幹線駅でも聞かれる。

北陸新幹線の新高岡駅(富山県高岡市)は高岡駅から1.6kmほど南にある。JR城端線で1駅の距離だ。付近にはもともと、北陸最大級のイオンモール高岡が2002年にオープンしており、その北西約500mのところに北陸新幹線・新高岡駅が開設された。新青森駅同様、郊外型店の並びに新幹線駅が立地した格好でもある。

駅の開業から間もなく、東横インや全国チェーンの居酒屋が駅前に立地した。しかし、並行在来線の経営分離によって、高岡駅に止まっていた多くの特急がJR北陸線ごと姿を消した「穴」を埋めるにはほど遠かった。

だが、その様相を変える出来事があった。2019年9月、イオンモール高岡は大幅に増床し、リニューアル・オープンした。約130店舗から約200店舗へ、駐車場は3600台から4400台へと増え、駅正面に当たる南口の真ん前に割って入る形になった。

駅そのものの機能が大きく向上した訳ではないが、名実ともに「新幹線駅前のイオン」という立地が今後、駅一帯のイメージやブランドをじわじわと変えていくかもしれない。

■活況呈する上越妙高駅前

上越妙高駅は上越市の内陸部に建つ。北陸新幹線開業前の鉄路の要衝・直江津から南へ約10km、市役所のある春日山から約7km、城下町・高田からは約4km離れている。信越線の脇野田駅を新幹線ルートに合わせて移設し、水田と散在する住宅の間に新幹線駅ができた。さまざまな駅周辺の利用計画が水面下で進む中、2016年に先陣を切って姿を現したのは、株式会社北信越地域資源研究所が経営するコンテナ商店街「フルサット」だった。

フルサット創業が様子見の気配を押しやったのか、ビジネスホテルや温泉施設の建設が相次いで始まり、2019年の訪問時にはマンションやコメダ珈琲店も立地していた。フルサットはさまざまなイベントで活況を呈し、スタート時の1棟から8棟、11棟へと増床、8店舗・2オフィスから成る「駅前コンテナタウン」として、人や情報の行き交うスポットに成長した。

区画整理した駅前の土地は大半が利用済み、または利用のメドが立った。それでも、地元にはその変化を評価する空気は必ずしも漂っていない。一度、「何もない」というイメージが定着すると、それを一掃するのはやはり難しいようだ。加えて、駅勢圏が広いうえ、上越市も14市町村が合併しているため、新たにできた新幹線駅は、幾重にも「わがまちの駅と評価されるのが難しい」。同社の平原匡代表取締役は語る。

各地に漂う停滞感をどこかで変え、駅とその周辺の在り方を、市民みんなで考え直す契機をつくれないか――。そう考えた筆者が行き着いた1つの方法が「ニュースレター」の発行だった。

新青森駅開業に合わせて、駅に近い青森県立青森西高等学校で2010年、ある活動が始まった。新幹線利用者らを歓迎する「おもてなし隊」をつくり、県内の7高校に呼びかけて、プロジェクトを立ち上げたのだ。

同校は青森県内でも有数の部活動が盛んな高校で、青森県高等学校体育連盟の事務局を担当する。快活なイメージは「おもてなし隊」のイメージにそのまま重なる。新青森駅から約700m西にあり、多くの生徒が通学に利用している。生徒たちにとって、活動は駅への恩返しの1つとも言えた。

その後、「おもてなし隊」は活動を重ね、高校を代表する活動の1つに成長した。活躍の場も、三内丸山遺跡、青森港を訪れたクルーズ船の歓迎、JR東日本と連携しての青森ねぶた祭の観光客歓迎――と広がっていった。華道部は週1回、新青森駅の生け花を交換し続け、今年で10年目になる。

■目的は「協働の場」づくり

筆者が勤務する青森大学と青森西高校は2018年、「高大連携」に関する協定を結び、協働の糸口ができたことから、筆者は「ニュースレター」の創刊を思い立った。

幸い、同校と新青森駅の理解と協力を得られ、さらには青森学術文化振興財団の助成事業の対象となったため、2019年6月10日に第1号を発行することができた。その後、月1回のペースで刊行を続け、10月10日には第5号を発行した。

「地域・駅・新幹線ニュースレター」と銘打ったニュースレターは、大きく①インタビュー②おもてなし隊の活動③三内丸山遺跡・青森県立美術館の催し紹介④新青森駅周辺や青森駅に関する話題、から構成している。タイトルは「はっしん! 新青森」とした。「はっしん」は、鉄道現場でよく用いられる「発進」と「発信」をかけている。

情報源としてよりも、コミュニケーション・ツールとしての側面を強く意識し、持続可能な、協働の形・場づくりを事業の目的と位置付けた。そして「駅とその周辺の状況を改善していく」「駅について考える作業を通じて、市民同士が手を携える」、さらには「高校生と大学生が連携し、さらに世代を超えた連携の道を探る」といったそれぞれの営みをより合わせるモーターとしての姿を目指している。

現在は新青森駅をはじめ、青函フェリーのターミナルなどいくつかの施設で、配布に協力してもらっている。また、FacebookページやInstagramのアカウントも開設し、独自のコンテンツを投稿するなど、ネット展開の基礎もつくった。

■上越妙高で「姉妹紙」

このような試みに、上越妙高駅前から反応があった。北信越地域資源研究所の平原代表取締役から「上越妙高で姉妹紙をつくれないか」と相談があったのだ。早速、7月中旬にセットした飯山駅視察に併せて、隣駅の上越妙高まで足を延ばし、創刊について相談した。同時に、平原氏が「フルサット駅前セミナー」をスタートさせ、約20人の参加者とともに、「駅のメディア化」の意義や課題について語り合った。

セミナーの様子は地元2紙でも報じられ、一定の関心と反響を呼んだ。上越妙高の姉妹紙は、年内のパイロット版発行を目指し、準備が進んでいる。

一連の取り組みは、2019年9月に新潟大学で開かれた日本地理学会秋季学術大会でも発表した。まだ進行中の、しかもささやかな実践でしかないが、新潟県内にもかかわる話題だったからだ。発表に関する質問はあまりなかったが、それでも多くの人が「ぜひ参考にしたい」とニュースレターを希望し、持ち帰ってくれた。

ニュースレターは、新幹線駅の未来を切り開けるか……? 青森学術文化振興財団の助成は単年度である事情も手伝って、2020年度以降のニュースレターをどう発行するか、本稿の執筆時点では決めていない。ただ、形を変えても、何らかの方法で、何らかの営みは続けていきたいと考えている。

櫛引 素夫:青森大学教授、地域ジャーナリスト、専門地域調査士

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