大川小津波訴訟、遺族側の勝訴が変える学校安全 子どもの命を守る学校の責任は重い

東洋経済オンライン / 2019年12月13日 7時25分

東日本大震災の津波で犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校児童の遺族らが市などに賠償を求めた訴訟の控訴審判決を受け、「勝訴」の垂れ幕を掲げる原告団。仙台市青葉区の仙台高裁前(写真:時事通信社)

海岸から4キロほど離れた宮城県石巻市釜谷地区の北上川の近くに立つ石巻市立大川小学校。子どもたちが笑顔で過ごしたであろうその学び舎は、現在、2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波の悲劇を伝えるモニュメントとして多くの訪問者を受け入れている。大震災による津波で児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明となり、教職員10人が死亡した。

津波で犠牲になった大川小児童の遺族のうち19家族29名の保護者が市と県に損害賠償を求め、2014年3月10日に国家賠償訴訟を仙台地裁に起こした。訴訟は最高裁まで持ち込まれ、最高裁は2019年10月10日、市と県の上告を棄却し、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた二審・仙台高裁判決が確定した。

これを受け、12月1日になって石巻市の亀山紘市長が遺族に謝罪、大川小を訪れて、慰霊碑の前で黙祷をささげた。

■震災当日何が起こったか

大川小の児童総数は108名、震災当日は欠席・早退等の5名を除き、103名の児童が授業終了まで在校していた。教職員は総数13名、校長は娘の中学校の卒業式に出席するため、午後から休暇をとり不在だった。震災当日は教頭と教務主任、各学年主任を兼ねる担任教諭および養護教諭の11名が在校していた。

大地震から51分後に津波が大川小に襲来、70名の児童(学校管理下69名、欠席者1名)と教員10名が死亡し、早退していて被災した1名を含め4名の児童が現在も行方不明となっている。

当時、大川小では、地震発生から津波到達までは51分間あり、街では津波の襲来に警戒して防災無線などでも「津波が来ます。高台へ逃げてください」という案内もあり、児童たちからも「避難をしたい。裏山へ逃げたほうがいい」という声があったものの、教員の判断で校庭にとどまっていた。50分ほどして、川に近い「三角地帯」に移動を開始し、その直後に津波に巻き込まれた。

不在だった校長は、3月17日まで大川小を訪れず、また、児童の捜索に加わらなかった。亡くなった児童の遺族や行方不明の児童の保護者に対し、被災状況の説明もせず、開催することの告知もせぬまま、3月29日に生存児童だけを対象に登校式を開催し、「死亡した児童と行方不明の児童やその保護者に配慮したとはいえない挨拶」(原告遺族)等を行ったという。

石巻市教育委員会は、4月9日になり大川小の児童の津波被災について保護者説明会を開催、生存児童らへの聞き取り調査等を始めた。その後、2014年3月23日まで合計して10回の保護者説明会が開催され、遺族との間で質疑、意見交換がなされた。

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