柳家花緑、偉大な祖父「小さん」とは違う新境地 「僕は今を生きる」天才と呼ばれた噺家の半生

東洋経済オンライン / 2020年1月16日 17時0分

落語家、柳家花緑(やなぎや かろく)(撮影:橘蓮二)

筆者が上方落語協会事務局に勤めていた20代の頃、夏に神戸で東西の大師匠が集結する東西落語特選というイベントがあった。ある年、中盤で高座に上がった六代目笑福亭松鶴は、降りると羽織を片手に小走りに楽屋に向かい、五代目柳家小さんに「お先に上がらしてもらいました」と丁寧にあいさつをした。

楽屋口で見ていたが、上方落語界序列1位の最長老、泣く子も黙る松鶴(ろくだいめ)が、まるで前座のように頭を下げるとは、小さんは、なんと偉い師匠なんだろう、と思ったものだ。

年齢の関係で筆者は(五代目古今亭)志ん生や(八代目桂)文楽は生の高座には接していない。かろうじて(六代目三遊亭)圓生には間に合ったが、五代目柳家小さんは20年以上もたっぷりと聞かせてもらった。これは私の宝物だ。

小さんは、面白いことなどこの世にないかのようにとつとつと話し出す。しかし観客はそこからストーリーにぐいぐいと引き込まれていく。「らくだ」「宿屋の富」「粗忽長屋」「うどん屋」「禁酒番屋」「試し酒」「笠碁」「二人旅」――挙げればきりがない。筆者は若い頃、大阪の旧角座で「試し酒」を最前列で聞いていて、集中するあまり、引き込まれて前のめりに倒れそうになったことを思い出す。

■特別なおじいちゃん

今回紹介する柳家花緑は五代目小さんの孫に当たる。花緑は“おじいちゃん”である小さんを師匠とした。

「永谷園のCMしかり、NHKの演芸番組しかり、自分の祖父がテレビをつければしょっちゅう出ていた。一緒に道を歩けば、“あ、小さん師匠だ”なんて言われる。僕も有名人の孫ということで、学校でもまわりがそういう眼差しで見てくれるという。そういう体験をずっとしてきましたね」

2人兄弟。兄はクラシックバレエの道に進んだが、母親が「1人くらいは落語の道を継がせよう」と花緑を小さんに入門させた。初高座はわずか9歳だった。

「初めて噺を教わったのは今、六代目小さんを名乗っている叔父(母の弟)です(当時は柳家三語楼)。与太郎の出てくる『からぬけ』という短い噺を教わって、お蕎麦屋さんの2階の落語会でやりました。祖父や一門の先輩方もいた。そういうデビューをして、そのあとNHKや民放の囲み取材を受けて、“親子三代”というニュースになった。ワイドショーでも取り上げられました」

小学校に通いながら高座に上がっていたが、中学に入って勉強との両立が厳しくなってきた。

「僕は勉強がまったくできなかった。どんなに頑張っても成績が上がらなかった。でも落語ではけっこう受けていた。端的に言えば、落語以外での“成功体験”がまったくなかったんですね。みんなに“バカな小林くん”と呼ばれていた。最近わかったことですが、発達障害だったんです。だから、落語の道しかなかった」

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