ビスマルクに学ぶ「動乱期」を生き抜く外交戦術 ドイツ統一を成し遂げ、欧州外交を支配した

東洋経済オンライン / 2020年5月23日 9時45分

19世紀後半の欧州外交を支配したビスマルク(写真:Interfoto/アフロ)

歴史上、多極構造の世界を安定させるため、諸国はバランス・オブ・パワーの維持に努めてきた。過去3世紀の国際政治史において重要な仕事を成し遂げたのが、3人の外交家――ビスマルク、タレーラン、ドゴールである。なかでも、軍事力によるドイツ統一(鉄血政策)を成し遂げ、19世紀後半の欧州外交を支配したビスマルクとはどんな人物だったのか? 国際政治アナリストの伊藤貫著『歴史に残る外交三賢人』を一部、再構成・再編集し、動乱期を生き抜くための外交戦術をひもとく。

ビスマルクは歴史上初めて、常に数十(もしくは数百)に分裂していたドイツ民族を統一した大政治家である。しかし彼は、単にドイツ統一という偉業を成し遂げただけの人ではなかった。彼は建国後のドイツを「欧州大陸の最強帝国」に育て上げて、19世紀後半の欧州外交を牛耳ったのである。

ウィーン会議(1814~15年)の5大国会合(英仏墺露普)において、ドイツ圏の35の諸侯国と4つの自治都市を、「ドイツ連邦」という連合体にまとめることが決定された。これは強力な拘束力を持つ連合体ではなく、中小諸侯国の意向と投票権も尊重される緩い連合体であった。この39カ国のなかで最も強い発言権を持っていたのは、オーストリアとプロイセンであった。

■ドイツ連邦が果たした4つの重要な機能

このドイツ連邦は、4つの重要な機能を果たしていた。それらは、①ドイツ連邦共通の防衛政策を構築することにより、周囲の列強によるドイツ侵攻をふせぐ、②ドイツ諸国の統一を阻止することにより、ドイツ民族が周囲の列強諸国に対する攻撃能力を獲得することを阻止する、③35諸侯国の君主制を維持して、ドイツ圏の自由主義・民主主義・民族主義運動を抑圧する、④17世紀からドイツ地域で最もアグレッシブな領土拡大策を実行してきたプロイセンを、ドイツ連邦の内部に閉じ込めておく、というものである。

ドイツ連邦は、実にクレバーな外交システムであった。この連邦の存在により、仏露両国はドイツ圏に侵攻することができなくなった。しかも、ドイツ諸国が合併統合して新しい大国を創ることも阻止できた。そしてメッテルニヒ墺宰相がドイツ圏内において最も警戒していた軍事強国プロイセンを封じ込めておく道具としても、このドイツ連邦は有効に機能したのである。ドイツ連邦は、欧州の現状維持を望んでいたオーストリア帝国と大英帝国にとって、実に便利な連邦制度であった。

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