「何もない」大崎は鉄道を支えた工業の街だった 来年120周年、悲しそうな「自虐キャラ」で注目

東洋経済オンライン / 2020年10月18日 7時50分

品川白煉瓦は社名からもわかるように、白レンガが代表製品。しかし、化粧材の赤レンガも製造しており、品川白煉瓦が製造した約85万個の赤レンガは東京駅にも使われている。

■鉄道の塗料も大崎で

駅の開業前から、大崎駅周辺にはわが国の近代化をリードする工場が点在していた。それが貨物の取り扱いを開始したことにより、さらに工場が集積していく。

1896年、日本ペイントの前身でもある光明社が大崎に工場を移転させた。光明社は海軍専属の塗料工場をルーツとする。塗料といっても主に顔料と染料の2種類がある。専門家でなければ、顔料と染料の違いを知る必要はないが、これら2つを一貫して生産できる光明社は技術力に優れているとの評判が立ち、政府から厚い信頼を得た。

光明社も業務拡大を理由に広大な工場用地を探しており、輸送に優れているという点から大崎への移転を決めた。大崎駅の近隣に移転した光明社は、帝国鉄道庁(現・JR)の指定工場になり、車両の塗装を手がけることになる。事業拡大の必要性もあって、光明社は1898年には日本ペイントへと社名を変更した。

塗料・錆止めで傑出した技術を誇る日本ペイントは、その後も鉄道と密接な関わりが続いていく。1912年に開通した山陰本線の鎧駅―餘部駅間には、天空の橋とも形容される余部鉄橋が架けられた。同鉄橋は1915年から定期的に錆どめなど塗装のメンテナンスが必要になり、日本ペイントから専任社員が派遣されて日々の維持管理に努めていた。

さらに日本ペイントの名を高めたのが、1932年に発売した「ボデラック」だった。ボデラックは鉄道車両の外板用塗料として品質が認められることになり、南満洲鉄道の特急列車として歴史に名を刻んだ「あじあ」号にも使用された。こうした実績から、ボデラックは鉄道省から国鉄に改組した後も長らく使用され、国鉄から信用が厚いために私鉄でも広く使用された。

ちなみに、品川硝子製造所・品川白煉瓦・日本ペイントの3社は、現在なら京浜東北線の大井町駅のほうが近い。しかし、大井町駅が開業するのは1914年で、明治期に産声をあげた3社の操業開始後だった。

■駅隣接地には明電舎

大崎駅を語るうえで欠かせない工場といえば、1915年に駅の隣接地に移転してきた明電舎が挙げられる。同社は総合電機メーカーとして国内外でも高い評価を得ているが、創業者の重宗芳水は鉄道部品のメーカーだった三吉電機工場で修行を積んでいる。

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