本能寺は「織田信長の定宿」は大きな誤解である 本能寺の変にはなぜこんなにも誤謬が多いのか

東洋経済オンライン / 2020年12月30日 18時30分

「本能寺の変」に関する多くのウソが、なぜか真実として現在に伝えられているというが……(写真:naonao/PIXTA)

大河ドラマ「麒麟がくる」もいよいよ大詰めを迎え、「本能寺の変」が話題である。光秀決起の真因は何だったのか? 本当の黒幕は誰か? さまざまな立場からの研究書が出版されてきたが、その中で異彩を放つのが、茶道研究家の視点で明智光秀の行動を子細に分析してきた井上慶雪氏である。『本能寺の変 信長の誤算』の著書もある井上氏によれば、本能寺の変に関する多くのウソが、なぜか真実として現在に伝えられているらしい。

■間違いだらけの本能寺の変

歴史は時代とともにその見方、解釈も変わってくるものである。それなのに旧態依然とした歴史事象を、伝承どおりの固定観念で捉えていとも簡単に鵜呑みにしている人が多い。「聖徳太子・非実在説」などはその好例といえよう。

また、「誰かによる書き換え」を厳しく監査することも重要である。

歴史では、しばしば「誰かによる書き換え」が横行する。そして、やがてそれが通史として正当化し、安易に居直ることがある。

「本能寺の変」も430年以上、驚くほどの誤謬と、安易な伝承にだまされてきた歴史事象だけに、実証史学の厳しいメスを入れて再構築していかねばならないのである。

私は明智光秀の研究家として、著作を通して「世の中に出回っている本能寺の変に関する情報は間違いだらけである」「本能寺の変の犯人は羽柴秀吉であって明智光秀は冤罪である」という2点を、声を大にして申し上げてきた。拙著『本能寺の変 信長の誤算』は、これら主張に関する集大成といえる。

本稿では、巷間いわれている「本能寺の変」は間違いだらけであることをお伝えしたい。その1つとして、「本能寺は織田信長の定宿」ではなかった。

■本能寺の宿泊は2回だけだった

信長が上洛した折には、必ず「本能寺泊」と思っている人が、いまだに多いようだ。

実は信長の約49回の上洛中、天正年間の「本能寺泊」はたったの2回である(厳密には上洛当初の元亀元年〈1570〉7月と8月の2回もあるが、これらを加えても4回にすぎない)。

この2回とは、最後の上洛となる天正10年5月29日と、1年前の天正9年2月20日である。

ではその前はどこに宿泊していたのかというと、「妙覚寺泊」が約20回、「二条御新造(二条御所)泊」が14回、「相国寺泊」が6回、「知恩院泊」等々で、ことと次第によっては「本能寺の変」ならぬ「妙覚寺の変」と呼称する可能すらあったということである。

つまり本能寺は、信長にとってさほど重要な寺ではなかった。最後となる「本能寺泊」は、たまたま信長上洛の護衛に駆けつけた嫡男信忠がすでに妙覚寺に詰めていたので、昨年宿泊した「本能寺泊」にしたということだったのだ。

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