「本能寺の変」前日、信長が決行した茶会の真相 「本能寺の変」の真犯人を巡るひとつの視点

東洋経済オンライン / 2021年1月5日 22時0分

〇作物(つくも)茄子(九十九茄子)〇珠光(じゅこう)茄子〇円座肩衝〇勢高(ぜいだか)肩衝〇万歳(ばんぜい)大海〇紹鷗(じょうおう)白天目〇犬山灰被(はいかつぎ)〇珠光茶盌〇松本茶盌〇宗無茶盌〇高麗茶盌〇数の台二つ〇堆(つい)朱(しゅ)の龍の台〇趙昌筆の菓子の絵〇古木(こぼく)の絵〇小玉澗の絵〇牧谿(もっけい)筆くはいの絵〇牧谿筆ぬれ烏の絵〇千鳥香炉〇二銘の茶杓〇珠徳作の浅茅茶杓〇相良高麗火筋(ひばし) 同鉄筋(てっぱし)〇開山五徳の蓋置〇開山火屋(ほや)香炉〇天王寺屋宗及旧蔵の炭斗(すみとり)〇貨狄(かてき)の舟花入〇蕪(かぶら)なし花入〇玉泉和尚旧蔵の筒瓶(つつへい)青磁花入〇切桶の水指〇かへり花水指〇占切水指〇柑子口の柄杓立〇天釜〇田口釜〇宮王釜〇天下一合子水翻(みずこぼし)〇立布袋(たちほてい)香合〇藍香合

(本能寺の変後、焼け跡から「作物茄子」「勢高肩衝」の2点が拾い出されて現存している)

そして結びに、差し出し日「6月1日」、差出人の楠木長庵(くすのきちょうあん)の在判で、

「三日月、松島、岸の絵、万里江山、虚堂痴愚(きどうちぐ)の墨蹟、大道具に依って安土に残置候。重ねて拝見仰付らるべく候」とある。

つまりこの『仙茶集』を信じる限りにおいては、信長が島井宗室に披露するためにわざわざ安土から、38点の「大名物茶器」を運んだことがはっきりとわかるのだ。

そして「三日月、松島の葉茶壷、虚堂痴愚(中国南宋・臨済宗の高僧)の墨蹟などは大道具なので今回は安土に残してきたが、またの機会に見せるであろう」と約束してもいる。

しかしこの「本能寺茶会」こそが、信長を京都に誘き寄せる最良のわなだったのだ。

信長上洛を促したものこそ、5月17日の、秀吉による「上様、御出陣要請」の早馬であった。

■秀吉から信長に送った「早馬」が発端だった

信長に送った「秀吉の早馬」が、実は本能寺の変の真相に迫る重要な証拠なのだが、まず、通史における概略を列記してみよう。

3月15日、秀吉率いる中国方面軍が、2万5千余の大軍で中国攻めを開始する。4月15日に備中入りをした秀吉軍は、「境目七城」の内、冠山城・宮津山城を陥し、5月の初めに高松城を囲み、折から梅雨で水かさの増す足守川をせき止め、総長3キロにわたる膨大な築堤をして水を注ぎ込み、高松城を浮城にして兵糧攻めをする。時を移さず毛利三軍が、総勢5万の兵を率いて高松城救援のため着陣する。

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