白血病のJリーガー「病名公表」するまでの苦悩 酒井高徳選手が見舞い、南野選手も心配のメール

東洋経済オンライン / 2021年1月20日 21時30分

プロデビューと同時期に急性白血病と診断されたJリーガー・早川史哉選手。病名を公表するべきかどうか悩み、出した答えは……(写真:kou/PIXTA)

プロデビューと同時期に急性白血病と診断されたアルビレックス新潟所属のJリーガー・早川史哉選手。早川選手の著書『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』では、3年7カ月を経て公式戦に戻ってきた1人の人間の、ありのままがつづられています。

本稿では、前回、前々回に引き続き、同書から一部を抜粋しお届けします。

■背中を押された言葉

検査の結果、両親のかすかな望みもかなわず、急性白血病だと正式に診断が下されて、5月30日からは本格的な治療が幕を開けることになった。

これを受けて、両親と姉、弟の家族全員が見舞いに来てくれた。そして、今後について僕は家族と話し合った。

おもに僕と両親での会話が多く、その横で弟は、椅子に座りながら、いつものように黙って携帯電話をいじっていた。

当時、中学2年生の弟は思春期のまっただなかで、仲が悪かったわけではないが、どこか僕に対してよそよそしさがあった。

だが、両親との話の内容が僕の今後のことについて及んだとき、弟は携帯電話をいじりながらも聞き耳を立てているように見えた。

「俺、サッカー選手を続けていいかどうか、正直迷っているんだ」

僕がこのとき抱いていた本音を両親にぶつけたときだった。母が「もちろん史哉の気持ちが大事だし、今は治療に専念したほうがいいよ」と答えると、弟が口を開いた。

「俺は……サッカーをしている姿をもう一度見てみたいな」

驚いた。弟は誰に話しかけるでもなく、ボソッとそうつぶやいたのだった。そのあとは変わらない表情で携帯電話をいじり続けていた。

この言葉は僕の心に響いた。普段あまり会話をしない弟が僕にぶつけてくれた本音だと思った。弟は僕の後を追うようにサッカーをしていた。プレーもそうだが、Jリーグや日本代表、海外サッカーがものすごく好きで、アルビレックスの試合もよく観に行っていたし、当然、僕がプロとしてプレーしている姿を観に来てくれていた。

言葉は交わさずとも、僕を兄として、サッカー選手として尊敬してくれていることは十分に伝わっていた。だからこそ、彼の一言は僕のなかにものすごく刺さった。

「俺はもう一度頑張らないといけないな」

このとき、僕は弟から大きな勇気をもらった。

入院して数日後に神田勝夫・強化部長から「今後のことについて話がしたいから、お見舞いも含めて病室に行きます」と電話を受けた。

「いよいよこのときが来たか……」

電話を切ったあと、この病気になったことで、クラブとの契約が終わってしまうのではないかという不安が、一気に僕を包んだ。

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