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白血病のJリーガー「病名公表」するまでの苦悩 酒井高徳選手が見舞い、南野選手も心配のメール

東洋経済オンライン / 2021年1月20日 21時30分

この高徳くんの言葉は、僕の心の奥に届いた。そして、すでに僕は素晴らしい仲間に囲まれていることを再認識できた瞬間だった。

「俺は1人じゃない」

そう思い、僕は治療に臨んでいった。

■抗がん剤治療がスタート

2016年5月30日。ついに抗がん剤治療がスタートした。

僕は覚悟を決めていた。長い闘いがいよいよスタートする。今、弱音を吐いてしまっていたら、この先の長い闘いを生き抜くことができない。

込み上げてくる不安を強制的に押し戻すように、僕は毅然と向き合うことを決めた。

最初の投与は、抗がん剤を脊髄腔(せきずいくう)に注入する治療。脳骨髄液を採取したあと、針を抜かないでそこから直接抗がん剤を注入する髄注だったが、これが本当に恐怖だった。

正直、僕は注射針が嫌いで、普通の注射でさえ昔からあまり好きではなかった。それなのにベッドに横向きに寝て背中を丸めながら、腰のあたりに麻酔の針を刺す。これだけで冷や汗が出た。骨髄穿刺と同じような苦痛。抗がん剤が入っていくのがわかった。どんどん下半身のあたりがズンズンと重くなる。

骨髄穿刺と髄注。これから先、この2つがものすごいストレスになった。

点滴での抗がん剤投与も始まった。

投入後は白血球、赤血球、血小板などすべての数値が一度落ちるのだが、その時期は身体的にかなりしんどい状態になる。

全身がだるくなり、味覚障害に陥り、かつ唾液があまり出なくなり、口のなかがパサパサな状態になってしまう。便意も下痢っぽくなったかと思えば、急に便秘になったりと、あらゆる症状が自分の体に生じ、無気力感に支配される。

そこから徐々に数値が上がってくるため、徐々にゆっくり立ち上がるように回復していく。しかし、抗がん剤治療から数日後に、少しずつ血球の数値が下がっていき、どうしても体がだるかったり、食欲が湧いてこなくなったりする。

この繰り返しはどんどん自分の負担になっていった。それでも食事はできる限り食べて、少しでも体力を維持しようと努めた。

「もう一度、サッカー選手としてピッチに戻るんだ……」

この思いが崩れ落ちそうになる自分の気持ちを必死で持ちこたえさせてくれた。それでも、回数を重ねていくごとに「まだやるのか」という気持ちが込み上げてくる。

■募る罪悪感

そんな治療で苦しむなかで、僕には何よりも気がかりなことがあった。それは、僕の病気のことを、身内と一部のクラブ関係者にしか伝えていなかったことだ。

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