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知って驚く「山手線貨物駅」の現在の変貌ぶり かつて「東京の台所」も支えた物流拠点の今と昔

東洋経済オンライン / 2021年2月16日 7時30分

「恵比寿ガーデンプレイス」そばの山手貨物線を走る埼京線。りんかい線や相鉄線と相互直通運転をする(筆者撮影)

前回、東京周辺のJRの貨物線に湘南新宿ラインなどの旅客列車が走っていることを記事にした(2021年1月13日付記事「湘南新宿ラインはなぜ『貨物線』を走るのか」参照)。同記事では路線にスポットを当てて紹介したが、今回は山手線に設けられた貨物駅の昔と今をつづっていくことにしたい。

■ほとんどは貨客両用駅だった

1885年、民間会社の日本鉄道が現在の東北本線・高崎線と、官営鉄道が開通させた現在の東海道本線品川駅を結ぶべく、まず品川―池袋―赤羽間で営業を開始した。続いて1903年に池袋―田端間の運転を始め、路線名称としての山手線(品川―池袋―田端間)が全線開通した。

当時は東北本線・高崎線の起点は上野駅で、東海道本線は新橋から出発していた。しかし新橋―上野間はすでに都市化が進んでおり、用地確保が難航することから、開発があまり進んでいなかった“山の手”側を縦断することにした。いわばバイパス的な存在だったのである。

両端で接続する路線と同じように、山手線も当初から貨物列車が走っていた。全通時点で存在していた駅は品川、大崎、目黒、恵比寿、渋谷、新宿、目白、池袋、大塚、巣鴨、田端だったが、このうち旅客専用は目黒駅のみで、残りはすべて貨客両用だった。逆に恵比寿駅は、この時点では貨物専用だった。

このうち田端には、全国各地からやって来た貨物車両を目的地に合わせて編成替えする操車場が設けられたが、その後貨物駅の業務請負もこちらに移管され、田端操駅(そうえき)と呼ばれた。

一方、“下町”側は1890年に日本鉄道が上野―秋葉原間を貨物線として延伸すると、1914年に官営鉄道が新橋―東京間を建設して東京駅が誕生。旧新橋駅は貨物専用の汐留駅になった。その後この東京駅に中央本線が乗り入れることで神田駅が誕生し、残る秋葉原―神田間が開通して山手線が環状運転を始めたのは1925年だった。

山手貨物線、つまり品川―新宿―田端間の複々線化による貨物専用線が開通したのも同じ年である。ただし下町側の貨物列車はその後も北側は秋葉原、南側は汐留駅止まりで、貨物駅は秋葉原と汐留のみだった。

■ビールで有名な恵比寿

なぜ貨物駅が生まれたのか。多くは遠方から鉄道で運んできた貨物を下ろし、別の交通手段で目的地に運んでもらう中継地点としての役目だった。

しかし恵比寿駅だけは、近くにあったサッポロビール(駅開設当時は日本麦酒醸造会社)工場からのビール輸送のために作られた。恵比寿という駅名や周辺の地名が、この地で作られたヱビスビールに由来していることは有名だ。工場は1988年に閉鎖され、「恵比寿ガーデンプレイス」に生まれ変わった。

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