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プロ野球チームの「社員」が経験した経営の激変 ライオンズ選手から「転職」の髙木大成がつづる

東洋経済オンライン / 2021年4月24日 19時0分

日本のプロ野球はどのように変化してきたのでしょうか(写真:33ft/PIXTA)

1996年から2005年まで西武ライオンズで選手として活躍、その後は球団職員に「転職」した西武ライオンズの髙木大成事業部部長による著書『プロ野球チームの社員』から、一部抜粋・再構成してお届けします。

■日本のプロ野球界に起きた変化

私がライオンズの社員としてキャリアを積んだ時期は、日本のプロ野球が急激に変化した年月でもありました。その間にプロ野球界で起きた変化を、社員としての視点からつづっていこうと思います。

戦後の成長期からバブル経済の時期、その余波が残る1990年代まで、プロ野球のパワーバランスは読売ジャイアンツに一極集中していました。ほぼすべてのジャイアンツ戦が地上波テレビで全国放送され、「巨人=国民的人気球団」というのが常識ですらありました。

ジャイアンツの主催試合はいつも満員、放映権収入も莫大なものであったようです。その影響は、当然ジャイアンツのビジター戦を主催する他のセ・リーグ各球団にも及びます。

しかし、どんなにジャイアンツ戦が国民的人気を得ようとも、リーグが異なるパ・リーグの各球団には、まったく縁のない話でした。パ・リーグの多くの球団は、少ない観客動員を前提に経営するしかなく、グループ会社の支援なくしては成り立たないのが実情でした。

それでも、プロ野球は他のスポーツとは比べものにならないくらい突出した人気がありましたから、スポーツニュースなどで球団名(企業名)が呼ばれるだけで、それに値する広告効果があったのは間違いありません。

しかし、景気が完全に後退局面に入った2000年代初頭には、パ・リーグの一部の球団でチームを維持するのが限界に達していたように思います。結果として2004年の「合併騒動」「球界再編」が起きました。

ストライキなど、グループ会社と選手会とのぶつかり合いを経て、再スタートを切ったその後のプロ野球界の歴史は、お金の流れを変えた歴史でもありました。

この頃からセ・パ交流戦が誕生し、プレーオフ制度(クライマックスシリーズ)が定着しました。時を同じくするように、多くのテレビ局がプロ野球の地上波中継を見直し、球団も放映権だけに頼らないビジネスモデルを追求するようになり、問題意識はセもパも共通のものへと変わっていきました。

プロ野球は産業としての「構造改革」を必要としていたのです。

■「球団単体」での収益最大化へ発想を転換

私が引退した2005年からの15年間で、プロ野球界の最大の変化といえば、パ・リーグの観客動員数ではないでしょうか。

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