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長距離、循環…かつての「国鉄旅」は魅力的だった 日本中へ「乗り換えなし」で行けた往年の日々

東洋経済オンライン / 2021年8月3日 6時30分

上野ー仙台間寝台急行「新星」は夜汽車のイメージぴったり(1982年、写真:谷川一巳)

今思い起こすと、国鉄でめぐった日本の鉄道の旅は実に興味深く面白かった。

日本は狭い国土ながら、急峻な山あり谷あり、南国もあれば雪国もある。それらの地域を鉄道は海に沿って、あるいは谷に沿って走り、町と町を結んだ。勾配路線、豪雪地帯、トンネル断面の大きさ、電化方式、線路規格の違いなどがあるため、車両もそれに対応したものが使われ、長距離列車はいくつかの機関車をリレーして運転した。

長距離列車や夜行列車が各地にあり、寝台車はあこがれの的だった。優等列車には食堂車やビュッフェ車が連結されていて、現代よりもずっと優雅な鉄道旅ができたのである。

■圧倒的な長距離を走る在来線があった

最長距離列車として有名だったのが「富士」と「高千穂」で東京―西鹿児島間を日豊本線経由で結んだ。「富士」は所要時間24時間以上の寝台特急だ。さらに「高千穂」は所要時間31時間以上の座席急行だったので、始発から終着まで乗るにはそれ相応の覚悟が必要だった。普通車は冷房がなく、座席は背もたれが直角の4人ボックス席である。

最長距離電車特急は大阪―青森間の「白鳥」で、青函連絡船へ乗り継いでさらに札幌あたりまで列車に揺られる人も多かった。「白鳥」には実際に大阪から青森まで向かう乗客も少なくなかったが、始発から終着まで乗る人はまずいないだろうと思われる長距離列車もあった。名古屋―天王寺間の特急「くろしお」、急行「紀州」、大阪―博多間山陰本線経由「まつかぜ」などである。

ルートが事前に知らされない「ミステリー列車」さながらに思いもよらぬルートで運転したのは急行「大社」である。大社とは出雲大社の大社。名古屋―大社間を走るが、名古屋から東海道本線、北陸本線、小浜線、舞鶴線、宮津線、山陰本線、大社線経由というルートだった。

駅を出るとぐるりと1週して同じ駅に戻る循環急行もあった。盛岡発釜石経由盛岡行きは時計回り「そとやま」と反時計回り「五葉」があった。札幌発胆振線経由札幌行きではどちら回りも「いぶり」だった。

普通列車にも上野発一ノ関行きの客車鈍行があり、途中機関車を2回交代して運転した。

長距離鈍行の宝庫といわれたのは山陰本線で、たとえば京都発で最も長い距離を走る列車は島根県の浜田行きであった。最長距離鈍行は門司を5時台に出発して福知山に23時台に到着する列車だった。いずれも手動ドアが開きっぱなしの客車を機関車が引いた。

これらの列車は、多様な需要を1本にまとめた列車ではあるが、さまざまな区間で特急券などが1枚ですむほか、鉄道ファンにとっては乗ること自体が大いなる旅だったのである。

■稚内から西鹿児島まで走っていた夜行列車

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