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「日の丸半導体」が凋落したこれだけの根本原因 富士通・元半導体部門トップが直言(前編)

東洋経済オンライン / 2021年9月22日 7時20分

かつて世界で覇を唱えた日本の半導体は凋落。写真はルネサスエレクトロニクスの那珂工場。(提供:ルネサス エレクトロニクス株式会社)

半導体の重要性が再認識されている。アメリカや中国は経済安保の観点からも兆円単位の国家支援を打ち出し、日本でも、経済産業省が「半導体・デジタル産業戦略」を発表している。ただ、かつて世界に覇を唱えた日本の半導体産業はすっかり凋落してしまった。なぜ日本の半導体が成功し、なぜダメになったのか。そして、復活には何が必要か。富士通で半導体部門のトップを務め、現在は半導体の設計ベンチャーを経営する藤井滋氏に話を聞いた。今回はその前編。

――そもそも半導体産業の黎明期に日本はなぜ勝てたのですか。

1940年代後半に半導体を発明したのはアメリカだ。1980年代にそのアメリカに日本は半導体の製造で勝った。それは、1970年代に日本が新しい技術を作ったからだ。

たとえばクリーンルームという概念を生み出した。アメリカでは製造現場に靴で入っていたが、日本では清浄な環境で造らないと不良が出る、とクリーンルームを作った。半導体の基本特許はアメリカ発かもしれないが、LSI(大規模集積回路)にしたのも日本だ。私たちの先輩がゼロから切磋琢磨しながらやった。

■市場がパソコン中心になって「安さ」優先に

もう1つ大事なことがある。マーケットがあったことだ。当時、日本の大手電機はみんなNTTファミリーで通信機器やコンピュータを造っていた。半導体は自社の通信機器やコンピュータの部門が大口顧客だった。自社のハードを強くするために強い半導体がいる。通信機器部門やコンピュータ部門にとって、自社で半導体部門を持つメリットがあった。

各社がよりよいコンピュータを作ろうと競い合った。自社の大口顧客に応えるために、半導体部門も開発に力を注いだ。半導体を利用する顧客が近くにいることでよいものができた。それを外に売れば十分に勝てた。1980年代から90年代の初頭まではね。

――そうした成功方程式はなぜ崩れたのでしょう。

マーケットが通信機器と大型コンピュータからパソコンに変わったからだ。当初は各社独自のパソコンだったが、IBMの標準機になった。半導体も同じものをいかに安く作るかの競争になった。

NTT仕様の自社の通信機器向け半導体は35年保証の世界。設計、プロセス、品質管理もその水準でやっていた。それをパソコン向けにも展開したが、必要とされたのは品質より安さだった。パソコンは数年もてばいい。

そこに出てきたのが韓国勢だ。当時、富士通の半導体の断面は神様が切ったようにきれいだったが、韓国メーカー製はガタガタ。でも動く。何より安かった。

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