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大久保や西郷を輩出「薩摩の超独特な教育」の凄み 豪傑の礎は幼少期からのある訓練で築かれた

東洋経済オンライン / 2021年10月24日 11時0分

また、桜島にある古里温泉を訪れたときには、こんなこともあった。案内人の彦作が「桜島では、山で溶岩石を投げると神罰が下る」と伝えると、大久保はわざと、頂上から岩を投げ落とし、みなが驚く姿を見て喜んだ。なかなか人を食った少年である。

その後は、彦作の労をねぎらおうと、大久保自身が薩摩汁の給仕を務めている。度を越したいたずらを反省したのかと思いきや、薩摩汁を何杯も何杯も彦作に与えては、困惑する姿を見て楽しんだという。

■合理的な現実主義者の礎を築いた「郷中教育」

クールな印象が強い大久保も、少年時代は無邪気ないたずら坊主だった。ただ、神罰を恐れなかったことは、合理主義の政治家として名を馳せる、のちの姿を想像させる。

思えば、大蔵省で大久保とともに仕事をした渋沢栄一は、青年時代にインチキ祈祷師のうそを見抜いて撃退している。国家財政に対する認識の違いから、大久保と渋沢は決裂するが、合理的な現実主義者という点では共通していたといえよう。

腕力に乏しくいたずら好きの大久保は、明らかに「頭脳タイプ」である。ひたすら読書に励んで、学問にのめり込んでいく。

薩摩藩の郷中教育では、武術だけではなく、講習や習字、そして、軍書読みなども教え込まれた。なかでもユニークなのは「詮議」である。詮議とは、いわゆるディベートのこと。若手同士、もしくは、若手から年少者へ「問い」が投げかけられて、みんなの前で即答していくというものだ。

「君主の敵と、親の命を狙う敵がいた場合に、どちらの敵から切り込むべきか」

こういった「究極の選択」もあれば「義とは何か」という、根源的な問いもなされた。普段から多角的な視点で物事をとらえる習慣がなければ、即答することは難しいだろう。

詮議は、薩摩藩では歴代藩主の帝王学にも採用されており、島津家23代当主の島津宗信は幼少時代に教育係から、こんな詮議を受けている。

「あなたは親の敵を探して方々を尋ね回っている。そんなとき、海上で台風に遭って立ち往生していると、船を出して助けてくれた人がいた。ところがその命の恩人こそ、探し求めた親の敵だった。さてあなたは、どうしますか」

宗信は、助けられたことにお礼を言ったうえで「親の敵ゆえ是非もない。覚悟せよ」と断って討ち果す、と答えたという。この質問に正解はなく、とっさにどんな思考プロセスを経たのか、また、それをどう説明できるかが重要となる。

大久保もこの詮議で鍛えられて「政治家としての大久保利通」の素地を形作っていく。大久保は「組織をいかに運営するべきか」というリーダーシップの方法についても、郷中でもまれながら、身につけていったのではないだろうか。

■17歳で公文書の作成を補助する役人に

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