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宮中から実家帰った「紫式部」心がかき乱された訳 その一方で宮中での生活が恋しくなるように

東洋経済オンライン / 2024年8月31日 10時0分

紫式部の邸宅跡である廬山寺(写真: ocasek / PIXTA)

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は若宮(敦成親王)の誕生から50日を祝う宴の席が終わり、実家に戻った紫式部のエピソードを紹介します。

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きれいな都とは対照的な実家の姿

寛弘5年(1008年)11月1日、中宮彰子と一条天皇の間に生まれた若宮(敦成親王)誕生50日の御祝いが終わり、中旬に入りました。藤原道長の邸(土御門殿)の庭池には、渡鳥が頻繁にやってくるようになります。

【写真】実家に戻っていた紫式部のもとには、道長の妻から「帰ってきてほしい」との手紙も。写真は京都御所

中宮彰子に仕える紫式部は、その渡鳥の姿を見ながら(この土御門殿のお庭の雪景色はどんなにきれいかしら)と、もう雪景色を思い浮かべていました。

そんな中、紫式部は少しの暇をもらって、実家に帰ることにしました。初雪が都に舞って華麗な景色の土御門殿とは違う、みすぼらしい実家の庭の木。

その木を見ながら、紫式部の心はかき乱されていました。

「ここ何年か、寂しさの中、涙に暮れて夜を明かし、日を暮らし、花の色も鳥の声も、春秋にめぐる空の景色、月の光、霜雪を見ては、もうそんな季節になったのだと気づくものの、心に感じるのは、これからいったい、どうなってしまうのだろう」と不安ばかりが湧き立ってきたのです。

その不安を和らげてくれたのが源氏物語(以下、物語)を書くことと、人々と文通をして物語の内容について意見を交わすことでした。

疎遠になっていた人にまで、紫式部はつてを求めて声をかけたといいますから、その寂しい心の内が伝わってきます。夫を亡くした紫式部は、物語を媒介にし、人々とつながり、寂しさを紛らわせていたのです。

一方で、紫式部は「今、その気持ちをすべて思い知ることになった身の上の、何と憂わしいことだろう」と思い悩みます。

紫式部は実家で物語を手に取ってみましたが、「昔に見たようには感じられず」とも日記に記しています。かつて物語を読んだときの感動が、今はもうなくなってしまったということでしょうか。

気持ちが落ち込む中で女房仲間が恋しくなる

「昔文通していた友人も、私(紫式部)が女房勤めに出た今となっては『恥知らずで浅はかな女』と軽蔑していることだろう」と紫式部は想像を膨らませています。

そんな邪推をすることも、宮仕えに出たことと同じように恥ずかしいので、友人にはこちらからは連絡できない。紫式部の気持ちはどんどん落ち込んでしまいました。

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