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宮中から実家帰った「紫式部」心がかき乱された訳 その一方で宮中での生活が恋しくなるように

東洋経済オンライン / 2024年8月31日 10時0分

紫式部が女房勤めをしていることもあり、昔は実家まで訪ねてくれた人も、今はめったにいない。幼い頃から過ごし、慣れ親しんでいるはずの実家。その実家に久しぶりに帰ってきたことで、紫式部は寂寥感を味わい、何度もため息をつくのでした。

そうなると、日頃は煩わしいと思うこともある女房勤め、女房仲間が恋しく思えてくるから、(自身が)現金な人であるとも紫式部は記します。

また大納言の君が、夜々、さまざまな話をしてくれたことが恋しいとも書いています(紫式部は宮仕えを辞めたいと思うことはあっても、女房仲間は好きだったようです)。

紫式部が実家に帰っているときでも、女房仲間から「中宮様が雪をご覧になり、あなたがいないことに大変失望していましたよ」といった内容の手紙が送られてきました。

ほんの少しの休暇(実家での滞在)にもかかわらず、わざわざ手紙を送ってくれるとは。現代人がこれをどう思うか(嬉しいか、煩わしいか)は別にして、宮中ではとても濃密な人間関係が築かれていたといえます。

そして何と、道長の妻(源倫子)からも手紙が送られてきました。そこには、「早く戻ってきてほしい」との内容が書かれていました。さすがの紫式部もこれには恐縮したようで「すぐに戻ります」と返事し、再び、土御門殿に舞い戻るのでした。

中宮彰子が、内裏に戻るのは、11月17日のこと。もしかしたら、その諸々の準備のため、紫式部に早く戻ってきてほしいと言ったのかもしれません。それでも紫式部としては、自分を必要としてくれる場があることに、案外、喜んで再出勤したのではないでしょうか。

さて、中宮が内裏に戻るのは、11月17日の午後8時頃のはずだったのですが、夜は更けていきます。女房たちが30人ほど、正装し、髪を上げて並んで、待機していました。

内裏へと戻る中宮の御輿には、宮の宣旨(彰子の女房)が同乗しました。糸毛の牛車には、道長の妻と若宮、そしてその乳母が乗っていました。紫式部もまた別の牛車に乗ることになりました。同乗者は、馬の中将(彰子の女房。藤原相尹の娘)でした。

宮仕えの嫌な一面も

紫式部の日記の内容を見ると、このとき、馬の中将は(まずい人と乗った)という顔をしたようです。

馬の中将がなぜそんな顔をしたのか、その理由までは書いていません。紫式部とは元々、反りが合わなかったのでしょうか。(同車くらいで何と大袈裟な)と紫式部は思うとともに、こういったところが、宮仕えの嫌なところだとも書き残しています。(わかる、わかる)という現代の勤め人の声も聞こえてきそうですが。

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