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森永卓郎、岸博幸に感じた「余命の差」が生む余裕 日本経済停滞の「原因」については意見が一致

東洋経済オンライン / 2024年9月27日 16時0分

岸氏とは「残りの人生を考えるスパン」の違いを感じたという(写真:宝島社提供)

経済アナリストの森永卓郎氏と慶應義塾大学大学院教授の岸博幸氏。ともに霞が関での宮仕えを経た後に、経済評論家や学者として活躍をするという道を歩んできた2人ですが、奇しくも2人とも、60を過ぎてからがんを患い、余命宣告を受けることになりました。

そんな2人が、行き詰まりを見せる日本の経済社会に向けたメッセージとして上梓した対談本『遺言 絶望の日本を生き抜くために』。政策的にも「水と油」と評される2人ですが、多岐にわたる対談の中で森永氏は、岸氏との間にある政策的主張以上の「違い」に気がついたといいます。

※本稿は同書から、一部を抜粋・編集してお届けします。

余命の「タイムスパン」が生み出す違い

岸博幸さんとは、何度も共演しているが、これまで立ち入った話をしたことはなかった。私が打ち合わせ嫌いで、本番前は黙ってしまうことが多いからだ。私は、そんなに器用ではないので、本番前に話をすると、本番のテンションが下がってしまうのだ。

そのため、対談がどのように発展していくのか分からない部分も多かったのだが、予想どおりだったのが、残りの人生を考えるスパンの違いだ。

私と同様に岸さんががん宣告を受けたこと自体は報道で知っていたのだが、余命期間は、相当長いのだろうなと思っていた。私の場合は余命4カ月との宣告を受けたので、いまでも1カ月以内に死んでもいいようなタイムスケジュールを考えて動いている。それに対して、岸さんの余命は、やはりずっと長かった。

同じランナーでも、短距離走のランナーと長距離走のランナーでは、走り方が全然違う。短距離走のランナーは、フルスピードで走ることだけを考え、ゴールまで息をする必要がない。

一方、長距離走のランナーは、いかに上手に息継ぎをして、体力を長持ちさせるかが勝負になる。今回の対談でも、このタイムスパンの捉え方の差は、明確に表れた。

私は、後のことを一切考えずに、言いたいことを自由にしゃべったのだが、岸さんのトークは実に見事だった。原発政策をはじめとして、岸さんとは意見が違う点はいくつもあるのだが、岸さんは私の意見を頭ごなしに否定しない。

意見が違うときに岸さんが多用した表現は、「森永さんの意見には半分賛成で、半分違います」というものだ。こう表現すれば、対立が深刻化せずに、対話が円滑に進む。

もう1つは、用語の選択だ。私は財務省のことを「カルト教団」と評したが、岸さんは「軍隊」と評した。実は言っていること自体は大きく違わないのだが、言われる財務省の立場にたってみると、「軍隊」までは許せても、「カルト教団」は許せないだろう。こうした岸さんのトークは、コミュニケーションの技術として活用できるので、読者もぜひ参考にしてほしい。

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