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『内P』復活で感じた「内村光良」後進育成の凄み 多くの芸人を復活・再ブレークさせた立役者

東洋経済オンライン / 2024年9月27日 12時0分

当時はまだそういう番組も珍しく、『内P』は芸人の発掘や再生の場になっていく。『笑っていいとも!』と並び、若手芸人が出演したい番組としてよく名前が上がった。

内村光良の「プロデューサー」という肩書は、あくまで番組のなかでの役割。歌手デビューした「NO PLAN」の企画もあったが、アイドルのプロデューサーとは少しニュアンスが違う(内村のサングラス姿は、そうしたプロデューサーのパロディでもあった)。

だが芸人の可能性を見抜く内村の眼力はずば抜けていて、この番組をきっかけにブレークした芸人も少なくなかった。

たとえば、「ゲッツ!」でおなじみのダンディ坂野などはそのひとり。「若手芸人下剋上」という企画で内村に気に入られ、その後別の企画にもたびたび登場するようになった。

さらに特筆されるのは、多くの芸人を復活、再ブレークさせたことである。

レッド吉田もそうしたひとり。TIMは「命」などの人文字芸でブレークしたが、どうしても目立つのはゴルゴ松本のほう。自分では「爆笑をとれたことがない」と悩む吉田に対し、内村が「今日のレッド」というコーナーをわざわざつくった。

そこで「ありがトントン・ワシントン」といった独特のフレーズギャグを連発して大ウケ。「レッド語」として番組の目玉になった。

ふかわ、有吉らも番組で再ブレーク

いわゆる「一発屋」になりかかっていた芸人たちも、この番組で再ブレークした。

ふかわりょうは番組初期からのレギュラー。ふかわは、慶応大学在学中にデビュー。ロン毛にヘアバンドスタイルでおしゃれな音楽に乗せた「お前んち、天井低くない?」などのシュールな一言ネタでブレーク。知的かつクールなイメージで人気を博した。

ところが素のふかわはまったく違うことがバレて、『内P』では一転していじられキャラに。自宅を収録場所にされることもしばしばで、他の芸人たちが勝手気ままに振る舞うのに対してなにもできずオロオロする姿が逆に笑いを誘った。

レギュラー放送の最終回では内村から「この5年余りで、あなたで笑ったのは5回でした」と痛烈にいじられながらも、最後に3万ポイントをもらって総合優勝を果たすなど、愛されヘタレキャラを確立した。

そして有吉弘行のことも忘れるわけにはいかない。

『進め!電波少年』の「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク企画」で社会現象的ブームを巻き起こした有吉だったが、猿岩石が解散となってからは模索の時期が続いた。

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