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「ノウハウを欲しがる病」で可能性が潰されている 成功や失敗という概念はそもそも「空虚」だ

東洋経済オンライン / 2024年11月23日 18時0分

しかし、ビジネス界での成功と失敗には明確な基準がある。売り上げと儲けが半期ごとに大きかったほうが成功なのだ。つまり、成功と失敗はカネの多寡(たか)のことでしかないわけだ。それをもっと煮つめると、経営者と株主を裕福にすることが成功だということになる。要するに、ここにおいても成功と失敗はその表現の内容に有意義な意味がない空疎な概念なのである。

また、成功/失敗の固着観念の他に、遺伝、伝統や血筋というのも特に日本人の多くが持っている固着観念だ。

遺伝として才能や行動まで受け継がれると信じこんでいる人があまりにも多すぎる。そもそも遺伝とは親の形質が子に受け継がれていくことしか指していない。もちろん、血液は形質だから遺伝するが、高貴な人の血が受け継がれるという奇妙なことはない。なぜなら、その場合の高貴とはたんに人それぞれの主観的な形容詞の一つにすぎないからだ。

それなのに、その血筋と伝統をからめて事実であるかのように讃嘆したがる人が多いから、中身が何もないのに世俗的な権威でカネ稼ぎを容易にしている芸能や家系が成り立っている。そして、不幸なことに、それが日本の日本らしさの構成要素になっている。

失敗への恐れのほうが、怖い

成功と失敗という固着観念はさまざまなバリエーションに形を変えてはびこっている。

特に、成功は善であり、失敗は悪だという奇妙な倫理にまで化学変化をし、もっとひどいことに人間の上下をそれで決めるという風潮さえ生んでいる。若者たちがホームレスの人にカジュアルに虐待、暴行をするのはホームレスを失敗者、つまり力の弱い悪人とみなすからであろう。軽蔑、差別、えこひいきもこの固着観念から生まれたものだ。

そもそも、人間のなすことのすべてを簡単に価値づけることなど不可能なのだ。物事の善と悪の判断すら、ほぼ不可能だ。しかし、暴力は悪であろう。生命の否定だからだ。善はどうか。何を善行とみなすか、容易に判断できるだろうか。これも困難だ。誰かにとってつごうのいいことを勝手に善と呼ぶ場合もしばしばあるからだ。

成功/失敗のうちの失敗を異様に恐れる気持ちがあるからこそ、方法論やノウハウを探しまくる人が多い。何をするにしても、既成の手順やノウハウをまず見つけてから取りかかろうとするのである。

恋愛や結婚やセックスのノウハウまであり、それを商売にしている詐欺師(さぎし)も少なくない。そして、ノウハウがあらかじめ見あたらないと落ち着かなく不安になる。いつか失敗するのではないかと内心恐れているからだ。

ノウハウを欲しがる病(やまい)にかかっているから、いつまでたっても主体的に行動できないようになる。主体的に行動できないということは、自分で新しいものを発見できないということだ。なぜならば、ノウハウを欲しがるとは、前の人が歩いたあとをその通りに安心して歩いていきたいということだから。そんな気弱な人に独自の人生がどうして送れようか。

つまり、ノウハウを求めるのは、自分だけの人生の可能性をていねいにつぶしていくことにつながるのだ。

白取 春彦:作家

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