幕末の謎、坂本龍馬の「暗殺」をめぐる3つの"考察" じつは歴史研究者からは見向きもされていない
東洋経済オンライン / 2024年11月30日 18時0分
龍馬が暗殺されたのは近江屋の室内でのことです。かなり狭い部屋で、大人2人が立つこともままならないくらいの広さでした。通常の刀を振るうことは難しかったでしょうから、犯人は小太刀で龍馬を斬りつけたと考えられます。それゆえ、小太刀の使い手である桂早之助が龍馬暗殺の下手人だと思われました。
暗殺の1年前、龍馬は京都伏見の船宿・寺田屋で、京都所司代指揮下の伏見奉行所の捕吏たちに襲われたことがあります。その際、龍馬は高杉晋作からもらったピストルで応戦し、逃げのびました。この事件では、伏見奉行所側に死傷者が出ています。
当時、桂早之助は京都所司代の同心でした。つまり、桂早之助にとって龍馬は自分の部下や同僚を殺し、傷を負わせた人間ということになります。だから、桂早之助には龍馬を斬る十分な理由があるというわけです。
「京都見廻組」犯人説に、ぬぐえない疑問
しかし、どうも京都見廻組が龍馬を暗殺した理由が、ある意味では私怨に近く、動機の根拠としては弱いように思えます。私が気になるのは、まず龍馬が殺された時期です。武力によらない平和的な倒幕を念頭に置いた大政奉還が実現した、わずか1カ月後のことでした。
薩摩と長州は武力によって幕府を打ち倒そうとしたわけですが、幕府側は薩長の攻勢をかわすための窮余の一策として、政(まつりごと)を朝廷に返上するというアクロバティックな一手に出たのです。これを後押ししたのが、土佐藩の後藤象二郎であり、同じ土佐藩士の坂本龍馬が暗躍していたとされています。
つまり、幕府側は大政奉還を望んで行ったことになります。旗本を中心にした上位の組織である見廻組は、浪士を集めて組織された新撰組よりも、ずっと幕府の中枢に近い存在です。幕府の考え方により精通し、より忠実であって当然でしょう。
それなのに、大政奉還を進めた龍馬を守りこそすれ、反対に殺めてしまうというのは、幕府の意に背くことになってしまいます。やはり、京都見廻組では龍馬を暗殺する動機が弱いのです。そうなると、反対に大政奉還を推進されると目障りだと考える者たちが、龍馬暗殺の下手人である可能性が高いということにならないでしょうか。
暗殺の背後にちらつく「薩摩藩」の影
そもそも大政奉還はいかにしてなされたのか。まず慶応2(1866)年1月、土佐の坂本龍馬や中岡慎太郎を仲立ちにして、薩摩と長州の間で、薩長同盟が結ばれます。その翌年に薩摩藩と土佐藩の間で薩土盟約が、薩摩藩と長州藩と安芸藩の間で薩長芸三藩盟約が結ばれました。
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