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「4浪で上智合格」プロ野球の夢破れた彼の奮起 高校は野球強豪校、力の差を目の当たりに…

東洋経済オンライン / 2024年12月1日 7時20分

勉強面に関しては、放課後に野球をしていたため、宿題も何もしていなかったそうですが、小学校卒業まで90点以下をとったことはほぼなかったそうです。

広島の公立中学校に入っても野球を続けた鹿瀬さん。ところが、学年が上がるにつれて、成績はみるみる下降していきました。

「中学1年生のときは地頭でなんとかついていけたのですが、中学2〜3年生になると、生活がより野球一色になりました。上のほうだった成績は、中学3年生の終わりには真ん中より上くらいに下がってしまいました」

一方で高校には野球推薦で行くと決めていた鹿瀬さん。県内外の高校からいくつか誘いが来た中で、特待生扱いだった創志学園高等学校の普通科創造進学コーススポーツ系に進むことにしました。

春・夏合わせて7回甲子園に出場している岡山県の強豪校、創志学園高等学校。ここで彼は、寮に住んで野球漬けの生活を送ります。

「高校3年間はひたすら野球の日々でした。授業は週に4回で、授業時間以外はずっと野球をしている環境でした。雑用や自主練の手伝い、食事の片付けなどをしてから、自分の練習や風呂、洗濯、道具の手入れをしていました。

最初のうちはすべてが大変でした。消灯時間が来ても終わってないことがバレて、よく厳しい指導を受けていました。人間として成長する機会をもらえたので、今となっては厳しい指導と環境に感謝しています」

他の選手の実力を目の当たりに

上下関係の厳しさに耐えながらも、プロ野球選手の夢を見てひたすら白球を追った鹿瀬さん。しかし、実際にドラフトで指名されるような選手とのレベルの違いを目の当たりにして、力の差に気づいたと言います。

「僕の世代と1個上と下の世代には、WBCに選ばれるような人がたくさんいました。1個上には大谷翔平選手、同級生には森友哉選手、1個下には安樂智大選手や岸潤一郎選手がいました。

そういう選手たちと試合をする中で、もう、(自分にプロは)全然無理だなと感じました。高校3年生の最後の夏大会が終わったあと、長沢宏行監督(現:篠山産業高等学校監督)から『いろいろ紹介するからもう少し野球を続けてみたらどうだ』と言われたのですが、野球以外に人生をかける道を見つけたいと思い、野球で進学しない決断をしました。最終的には先生方にも私の決断を応援していただいて、感謝しています」

こうして鹿瀬さんは、高校卒業とともに、地元に帰る決断をしました。

地元の広島に帰った鹿瀬さんは、東京大学の文系学部を目指そうと思い立ちます。そのために自宅浪人の道を選びましたが、その理由として、「人生に対して焦っていなかったから」と答えてくれました。

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