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堂々巡りの「石丸論法」を育んだ京大という"土壌" 結論を「出せない」のではなく「出そうとしない」

東洋経済オンライン / 2024年12月21日 18時0分

多くの京大生も、これがデフォルトだったのではないか。

私もまた、これに近い体験をした。ここで重要なのは、こうした「挫折」を経たとしてもまた「学歴」をめぐるコンプレックスは醸造されにくい、という点である。

わからないのがデフォルトである。それよりも、もっと根本の部分で、自分自身が学問に対する向き不向き、さらに大きく言えば、生きていくことそのものへの適不適を考えさせられる。

ゼミはまるで「カラオケ大会」

京都大学で私が参加していたゼミの特徴は、カラオケ大会との印象が強かった。人の歌や発言は聞かず、自分が滔々としゃべる、というか、演説をする。話の流れを見つけるのは難しく、思いついたことを、思いついたタイミングで話していた。

ほかならぬ私自身が、そうだった。学部生から博士課程まで同じゼミというか場所に出ていたのに、尊敬どころか最低限の礼儀もないまま、知識もなければ、勉強もしていないのに、勝手な思い込みを並べ立てていた。

中でも最も恥ずかしいのが、ドイツ文学の池田浩士先生(1940年〜)のゼミでのことだった。例によって、どなたが何について発表をしたのか覚えておらず、無礼を上塗りしているのだが、自分の恥は強く覚えている。

そのころ、聞きかじったばかりの「仕掛けの露呈」というドイツ演劇の概念を持ち出して、池田先生の前で知ったかぶりをした。「仕掛けの露呈」とは、ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒト(1898〜1956年)が唱えたもので、ナチスドイツの専門家である池田先生から見れば、学部生が生半可な知識で振り回せる概念ではなかったに違いない。

それなのに、あるいは、それゆえにこそ、池田先生は、ニコニコとした表情で、「鈴木さんには、これから『仕掛けの露呈』について大論文を書いてもらいたいですね」と言ってくれた(ような気がする)。

池田先生のゼミでは、ほかにも、ロシアアヴァンギャルドについても、大ボラを吹いた記憶もあって、今の私が当時の私と同席したら殴りたい。ただ、ここで伝えたいのは、私の恥ずかしさよりも、そんな生意気な学部生も放っておいてくれたり、認めてくれさえしてくれたりする、そんな懐の深さである。

確かに、人の話を聞いておらず無関心だからこそ、先生からしても、「ああ、またイキってんなぁ」という、取り立てて腹を立てる筋合いでもなかったのだろう。「京大生あるある」にすぎないからである。権威主義的ではなかったし、「学部生の分際で」などという押し潰そうとする空気はなかった。

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