日本じゃ王者ボーイングよりメジャーだった!? 伝説の航空機メーカー「ダグラス」の軌跡

乗りものニュース / 2021年1月28日 9時40分

JALのダグラスDC-8(画像:JAL)。

アメリカにかつて存在した老舗航空機メーカー「ダグラス」。現在はボーイングの一部となっているものの、かつて日本の航空業界では「ダグラス機だらけ」だったこともあるほど隆盛を誇っていました。なぜ消えたのか紆余曲折を見てみます。

1万機以上生産された超有名プロペラ旅客機「DC-3」

 アメリカにかつて存在したダグラス・エアクラフト社は、かつてボーイング社やロッキード社と並んで、旅客機から軍用機まで開発していた老舗の航空機メーカーでした。しかし1996(平成8)年にボーイングと合併し、現在は同社の一部となっています。

 とはいえ、同社がかつて製造した旅客機には、時代を席捲した大ヒットモデルもあります。その代表例が、最も有名なレシプロ旅客機として広く知られている「DC-3」でしょう。型式につけられた「DC」のDは社名の“Douglas(ダグラス)”、Cは民間機を示す“Comercial(コマーシャル)”を意味します。もちろん「DC-3」が脚光を浴びる前から、DC-1、DC-2という機体が存在しました。

 ただ、実はDC-3が脚光を浴びたのは、製造当初からではありませんでした。第2次世界大戦中、同モデルを「C-47」の型式名で軍用輸送機に転用、1万機以上製造されます。その結果、終戦によって余剰化した「C-47」が、大量に民間に放出され様々な用途に使われたことで、一挙に名前が広まったのです。そのため、DC-3として広く世に知れわたっている機体の多くは、実は元「C-47」が大半で、生まれながらの民間機としてデビューした「純粋なDC-3」はレアな存在といえるでしょう。

 ちなみに、実は日本産の「DC-3」も存在していました。日本では開戦前にダグラス社からDC-3の製造ライセンスを購入しており、エンジンを三菱製「金星」エンジンに代えるなどしたのち、400機以上が1945(昭和20)年までに製造されたと記録されています。

 こういった関連性から、戦後の日本の民間航空業界の発展には、ダグラスが大きな関わりを持つようになったのかもしれません。

日の丸航空業界の黎明期になくてはならない存在

 1951(昭和26)年に、半官半民の航空会社として定期旅客便の運航を始めたJAL(日本航空)では、定期便就航を前に、3日間の招待飛行を実施します。この時使用されたのが、フィリピン航空からチャーターしたDC-3で、「金星号」の名が与えられました。

 初の定期旅客便を担当したのは、マーチン2-0-2型機だったものの、その後JALは国際線進出にあたって導入したDC-4を皮切りに、ダグラス製の旅客機を次々に採用しました。これは、DC-3で評判となっていた使いやすさ、丈夫で長持ちするなどの点を考慮したものだったのでしょうか。

 その後1960(昭和45)にJALは、初のジェット旅客機として、「DC-8」を採用。このモデルは、細い胴体でスマートなフォルムを持っていたことから「空の貴婦人」と呼ばれ、昭和の国内民間航空における「顔」のひとつともなります。

 もちろんDC-8以降の旅客機も、国内の航空会社では、馴染み深い存在となりました。

 DC-8に次いで、ダグラスは、近距離向けの双発ジェット旅客機「DC-9」シリーズをデビューさせ、これはシリーズ累計で2000機以上製造される大ヒット機に。日本では当時のTDA(東亜国内航空。のちにJASとなり、その後JALと合併)が採用しています。

 一方1970年代に入ると、いってしまえばダグラス超優勢だった日本の民間旅客機市場に革命が起こります。ライバルのボーイングが生み出したのは、「ジャンボジェット」の名で親しまれた747シリーズ。いわゆる「大量輸送時代」の幕開けです。ただこの超大型機ゆえの弱点を、ダグラスは新型機の開発に盛り込むことにします。

ライバル「ジャンボ」出現! さあどうするダグラス

 ダグラスが海外の航空会社などの要望を受け開発を計画した機体は、アメリカ本土を西海岸から東海岸へひとっ飛びできる航続距離を持ちながら、ボーイング747よりダウンサイジングした旅客機でした。

 当時、まだエンジン2基ではパワー不足であることから、747と同じエンジンを3基搭載します。これが、1970(昭和45)年に初飛行した、DC-10です。なお、一方で、ほぼ同時期に、ライバルのロッキードも同じクラスの機体を開発。これが、よく似たスペックの3発機L-1011「トライスター」です。

 JALは主に中距離国際線の用途でDC-10を導入。「ジャンボの兄弟」といったキャッチコピーまで付けました。もちろん海外の航空会社でも導入されており、様々なカラーリングのDC-10が成田空港の駐機場を囲む光景は、当時ごく日常的なものでした。

 とはいえ、DC-10は商業的には大ヒットしたわけではありませんでした。実をいうとダグラスは、過去のモデルをベースに発展型を作ることに長けていたメーカーでした。もちろんDC-10も、この法則に当てはまります。

 DC-10は、いわゆるパイロット2人と航空機関士、3名で操縦するタイプのクラシカルな操縦システムを装備していました。その後ダグラスは、DC-10をベースに最新のシステムを採り入れた「MD-11」をデビューさせます。とはいえ、なぜ「DC-11」ではなく、型式のアルファベットが「MD」なのでしょう。

型式が「MD」になったワケ でも完全に過去のモノとなったわけでもなく…

 実は、ダグラスは経営破綻によって、1967(昭和42)年にマクドネル社に吸収合併され「マグドネル・ダグラス」に。その結果、DC-10以降に開発された旅客機は、「MD」のアルファベットをつけるようになったのです。

 ちなみにMD-11も、JALは10機を購入し、「J―BIRD」と名付け定期路線に投入しますが、DC-10よりも早く売却されてしまいました。マグドネル・ダグラスにとってもエンジン数が少ない双発機が台頭したことなどで、世界的にMD-11が売れなくなったことが、ボーイングに吸収される一因となってしまいます。

 とはいえ、エンジン4基を搭載した超大型機「MD-12」やMD-11をベースにより長く、よりパワフルなエンジンを搭載した「MD-11XX」という計画もあり、ボーイングと合併するまでにいくつか旅客機の開発計画は進めていました。ついでに言えば、誰でも考えるかもしれませんが、「DC-10のセンターエンジンを取っ払えば双発機になるじゃないか」という計画もあったとか、なかったとか。とはいえ、そのころには同社も「あっぷ・あっぷ」な状態だったのでしょうか。

 また、MD-11を多数保有するアメリカの大手貨物専用航空会社、FedExからの提案に基づいてDC-10にMD-11のシステムをレトロフィットした「MD-10」という機体もあるものの、これは少数に留まっています。

 なお、DC-9の系譜を持つMD-95については、ボーイングと合併したことで、型番が「ボーイング717」となり、今も海外では現役です。

 ちなみに、かつてJALのMD-11の貴鳥の名前を機体番号順にすべて言えたら、成田空港近辺の撮影スポット「さくらの山」のヒーローになれましたが、私(種山雅夫、元航空科学博物館展示部長 学芸員)には無理でした。

【動画】空飛ぶ骨董品?じゃありません DC-3に乗れちゃった

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