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「異形機にジェットエンジンくっつけよう!」驚愕の“魔改造二刀流機”、なぜ生まれた? 超クセ強エンジン配置

乗りものニュース / 2024年9月25日 7時12分

J21R(画像:サーブ)。

スウェーデンには、異形の「エンジン後部配置」の機体で、外観をほぼそのままに、プロペラ式・ジェット式の“二刀流”機となったモデルが存在します。なぜこのような魔改造が実施されたのでしょうか。

ただでさえ「異形」なのに

 単発プロペラで推進する飛行機は、エンジンが機首に付いているのがスタンダードなデザインです。ただ少数派ながら、エンジンを後部に配置した推進(プッシャー)式のものもあります。そのなかでも異彩を放つ機体がスウェーデン「サーブJ21」です。

 なんとこの機体は、プロペラ式のほか、胴体形状ほぼそのままでジェットエンジンを搭載した派生型も生み出された「二刀流機」だったのです。この機はなぜ生まれたのでしょうか。

 プロペラ機がまだ戦闘機として使われていた第2次世界大戦末期までは、構造物として最も重いエンジンともども、どこに付けるのが性能を一番アップさせるか、盛んに研究が行われていました。しかし最終的に多くのモデルで、安定して性能が出せる機首に配置する方式が採用されています。

 一方、機体に備え付けられた機関砲は、機首に集中配置する方が、命中率が上がります。このためにプロペラを後ろに付けたのが旧日本海軍「震電」、そしてJ21でした。しかし、プロペラが後ろにあると操縦士の脱出が難しくなるため、J21は射出座席を採用。1943年に初飛行しました。

 そしてその4年後、J21の推進装置をジェットエンジンに付け替えたJ21Rが飛んでいます。

 この時代は航空機のジェット化が急速に進みましたが、スウェーデンにも戦闘機の性能アップを急がねばならない理由がありました。

 スウェーデンは19世紀のナポレオン戦争以来、戦争に参加せず2024年3月のNATO(北大西洋条約機構)加盟まで「軍事非同盟」を維持してきました。これは第2次世界大戦でも同じで、これを貫くために防空態勢を強化しなければならなかったのです。

 ただ戦闘機を輸入しようにも、戦時下なので連合国側も1機でも多くの機体が必要でした。つまり、他国から売ってもらうにしても、機体が余っている状況ではなかったのです。

なぜ「異形機を魔改造」することになったのか

 そこで国産戦闘機の必要性が生じたため開発されたのが、J21です。ところが、初飛行は欧州戦が一区切りついたあとでした。しかし、すぐに米ソ冷戦の時代に入ります。

 旧ソ連は、フィンランドを緩衝地帯としながら、世界情勢に脅威をもたらす存在になりました。そしてソ連は、戦利品だったドイツの技術を使い戦闘機のジェット化を進めます。

 そのような状況下、スウェーデンもソ連と渡り合うため、ジェット戦闘機をできるだけ早く確保する必要がありました。そこで、プロペラが後ろに備わったJ21のエンジンを載せかえ、ジェット化するのが最も効率的とされたのです。こうして、次の新型機となるJ29「トゥナン」を準備するかたわらで、J21の“魔改造”が進められました。

 しかし、ただ単純にエンジンを付け替えればうまくいくとは限りません。高温の排気により水平安定板の位置を高くするなど設計変更も必要となり、当初はJ21の設計の80%を流用できると思われたものの、実際は50%にとどまりました。用途も戦闘機ではなく攻撃機になり、J21Rは60機が採用されたに過ぎません。

 ただ、もともとは同じ機体のため外見の差異は大きくなく、現在スウェーデンのリンシェーピンにある空軍博物館に置かれているJ21Rは、J21をJ21Rとして修復・復元したと説明版に書かれています。

 J21とJ21Rはまさにプロペラ機からジェット機への変革期を示す機体になりました。一方、日本の震電は敗戦により試作機のまま姿を消し、戦後、日本が戦後にジェット機を初飛行させたのは1958年のT-1練習機でした。もし仮に、震電がジェット化されていたとしたら、どのように技術が継承されたのでしょうか。

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